ファンが暴れて後楽園に機動隊出動! 新聞がこぞって叩いたハード・ロック・バンドの名前…ロックが揉め事だらけだった時代
ロックは秩序を脅かすか
GFRのような人気ロック・バンド、すなわち新しい音楽の息吹は既存の音楽秩序を撹乱する、あるいは既存の体制の“住人”(既得権)を脅かすのが常である。1960年代から70年代にかけて、ロックというジャンルは危険視されたり、あるいはキワモノ扱いされたりしていた。それゆえ揉め事が絶えなかったのだ。
たとえば、1960年代から日本を席巻したインスト・バンド、ヴェンチャーズが売り物とした「エレキ・サウンド」の電気的な大音量(いま思えば大したことはないが……)に顔をしかめる人々も少なくなかった。栃木県足利市など一部の市町村教育委員会が「公立学校でのエレキ禁止令」を発して話題になったほどで、地域あるいは学校によっては足利市の方針をモデルに規則・校則を改訂したところもあったという。
ビートルズの登場も同様で、同時代のポップス・ファンのなかにもビートルズに否定的な見方をする人もいたが、1966年の日本武道館における来日公演(合計5回)に際して、同館を主たる会場として利用してきた武道競技団体からは、「武道館の伝統を冒涜するもの」といった声が上がり、讀賣新聞・産経新聞といった保守系メディアはこの声に同調した。当時、男子中高生の場合、「短髪(または丸刈り)」「詰め襟」が基本だったから、ビートルズの長髪やヒッピーを真似たファッションに強い嫌悪感を示す「大人」が一般的だった。
日本語ロック論争の「勃発」
洋楽に関するこうした揉め事と並行して、日本ロックの創成期(1960年代末~70年代初頭)に、ロック・ファンを二分するような揉め事も生まれた。とりわけ有名なのが「日本語ロック論争」である。
その中心にあったのが、細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂から成るバンド、はっぴいえんど。現在のリスナーには、極めて大人しい音楽に聞こえるであろうこのバンドがなぜ揉め事に巻き込まれたのか。
そこには、ロックンローラー、内田裕也が関係していた。
第2回【ロックンローラー「内田裕也」がキレた! 日本語とロックをめぐる伝説的「揉め事」の真相】では、日本ロック史を語るうえで欠かせない、この“論争”について詳しく見ていきたい。
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