ファンが暴れて後楽園に機動隊出動! 新聞がこぞって叩いたハード・ロック・バンドの名前…ロックが揉め事だらけだった時代

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ロックは揉め事の温床だった

 近年、海外の大物バンドのライブ会場で目立つのは、中高年ファンの多さである。先日、日本武道館で行われたチープトリックのライブでは明らかに還暦を過ぎたファンたちの黄色い歓声が飛び交っていた。

 当然、会場は和やかな空気で包まれ、暴力的な匂いなど一切ない。

 しかし、かつてロックが「揉め事の温床」である時代があった。ある時は会場で、ある時はメディアの中で、揉め事が起きていたのだ。さまざまな論争を懐かしく思うオールドファンも多いことだろう。

 批評家・篠原章氏はリアルタイムでそれらを見てきた、生き証人の一人。

 現在の平和なライブ会場や音楽メディアでは考えられない、若い音楽ファンなら引いてしまうこと必至、日本における「ロック界の揉め事」を2回にわたって見てみよう。【篠原章/批評家】

(全2回の第1回)

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 1970年代の“ロック野郎”は揉め事が好きだった。ベテラン音楽評論家・中村とうようが1969年に創刊した音楽誌「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」(以後NMM誌と略す))などを舞台に、論争ともケンカともつかぬ揉め事がいくたびもあった。

 たとえば、1960年代末から70年代はじめにかけて世界的な人気を誇ったアメリカのバンドに、グランド・ファンク・レイルロード(GFR)というハード・ロック・バンドがあった。GFRは、まだ大衆化していなかった「ハード・ロック」を、きわめてシンプルかつポップなかたちで表現したスリー・ピースのバンドで、本家・アメリカはもちろん、日本でもティーン・エイジャーを中心に浸透していたが、「ロック通」を自称する玄人はだしの聴き手の受けは悪く、「イモバンド」「お子ちゃまハード・ロック」とこき下ろされることもしばしばだった。

 ロック通で「インテリ」的読者が多数派だったNMM誌もGFRを取り上げなかったわけではないが、その扱いは英米ポップスを幅広く紹介する音楽誌『ミュージック・ライフ』誌(紙媒体としての同誌は1998年12月より休刊)よりもはるかに小さかった。

 NMM誌の1971年5月号には、「GFRのばかでかいだけのサウンドには吐き気をもよおす」ので、「くたばれGFRクラブを結成した」として会員を募る一読者の投稿が掲載された。この投稿は、GFRファンを大いに憤慨させ、翌6月号には、「GFRのばかでかい音に浸る快感」が魅力だとして、「くたばれGFRクラブをつぶす会」の結成が熱心な中学生ファンより告知されるなど、GFRの評価をめぐって、ロック・ファンのあいだで舌戦が繰り広げられた。いまにして思えば、ロック・ファン同士の些細な諍いに過ぎなかったが、「ロックこそアイデンティティ」と信じていた当時の10代・20代のロック・ファンにしてみれば「すわ一大事」であり、ちょっとした「命を賭けた争い」の様相を呈した。

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