地元政界の恩讐が渦巻いた「2021年横浜市長選」…カジノ誘致に反対した「ハマのドン」の思惑と「ミナトの裏面史」

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「藤木幸夫」の登場

 藤木は賭場の摘発をきっかけに賭場を閉じて堅気になり、配下の者に賭博、麻薬、やくざとの付き合いを厳禁したが、世間の目は甘くなかった。しかも藤木自身、田岡との交流を隠さなかった。そのため田岡と昵懇だった藤木を「やくざと同類」と見なす人々も少なくなかったが、藤木は、荷役夫など港湾労働者の生活改善と横浜港の繁栄を目的にした合法的なビジネスに徹しながら、「義理と人情」という矜恃を守り、田岡との縁を、田岡が斃(たお)れるまで切ることはなかった。

 田岡は、山口組を「侠客の友誼組織」と自称していたが、警察当局がそう見なかったのは言うまでもあるまい。警察は東京五輪開幕に合わせて、山口組など広域暴力団の一掃を目標とした「第一次頂上作戦」を展開する(1964〜1968年)。その煽りを受けるように、田岡が副会長を務める全港振も1966年に解散、全港振に加盟する荷役会社は日本港運協会始めとする他の業界団体に糾合され、藤木は神奈川港運協会会長などを歴任、暴力団抗争が上塗りしたミナトの負のイメージを払拭するために、横浜港で働く荷役夫の社会的地位の向上や福利厚生に注力する一方、当時世界的潮流になりつつあった海上コンテナ輸送に対応した荷役業務の改革に着手したが、そこで力を発揮したのが藤木の長男・幸夫、現在の「ハマのドン」である。

 藤木幸夫は、清濁併せ呑んだ上で事業を維持拡大してきた父・幸太郎を補佐し、藤木企業などの荷役会社を「完全な堅気の企業」として再生させるよう力を尽くした。

 幸夫にとって幸いだったのは、1960年代末からコンテナ輸送とクレーン(キリン)を使った機械が主役の荷役作業が普及し、艀などを使った労働集約型の荷役作業が激減したことだ。港にとって、高度な技術を活用したコンテナ専用埠頭とクレーンの整備・普及が喫緊の課題となり、幸夫はその先頭に立って、荷役会社は無論のこと、海運業、倉庫業、運輸業、鉄道業、貿易業(商社)、精油業などといった港湾に関わる事業を展開するあらゆる業界・業種やその経営者・労働者の利害の調整役として八面六臂の活躍をした。

 第2回【「元首相」に「ミナトのドン」も…カジノをめぐって混迷極めた「2021年横浜市長選」騒動の顛末】では、地元を代表する顔ぶれが勢ぞろいし、まれにみる混戦となった横浜市長選の行方を追っている。

篠原 章(しのはらあきら)
批評家。1956年山梨県生まれ。経済学博士(成城大学)。大学教員を経て評論活動に入る。主なフィールドは音楽文化、沖縄、社会経済一般で、著書に『日本ロック雑誌クロニクル』、『沖縄の不都合な真実』(大久保潤との共著)、『外連の島・沖縄』などがある。

デイリー新潮編集部

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