「水戸黄門」「大岡越前」はなぜ“基本的に人の命を奪わない”のか 殺陣師・斬られ役のレジェンド4人が語った「テレビ時代劇」秘話【追悼・菅原俊夫氏】
最後はちょっと哀しかった
上野:実は、東野さんは俳優座に入る前に、京都の宝プロというところで「仕出し」、つまり大部屋俳優のような何でも屋をやっていたんだよ。だから酸いも甘いも知ってる人だった。最後はちょっと哀しかったけどね。「助さん、助さん」と、元ちゃん(高橋元太郎)を呼んでる。もう相手が分からない状態だった。もっと早く辞めさせてあげたかった。
菅原:ただ、東野さんから2代目の西村晃さんに交代する時には、プロデューサーの逸見稔さん(1995年死去、享年65)は大変悩んだそうです。
上野:「水戸黄門」を語るには、まず逸見さんを語らんとね。
〈逸見氏は、慶應大卒業後、松下電器産業に入社。「クライアント・プロデューサー」として同社が提供するドラマやクイズ番組の企画制作に参画する。その代表作の一つが、TBSナショナル劇場で始まった「水戸黄門」だった。その後、松下電器を退社した逸見氏は、制作プロ「オフィス・ヘンミ」を設立。番組・CM制作の一方で、多くの役者を世に送り出し、「テレビ界の名伯楽」と呼ばれた〉
菅原:逸見さんは、自分が手がける作品に確固たる信念を持っていましたね。
逸見Pが作った“偉大なるマンネリ”
上野:こういうことがあった。里見・助さんの頃かな。悪人がたった1人しか出てこない回があって、当然「立ち回り」、つまりチャンバラは成り立たない。結局、その悪がご隠居に斬りつけてくるのを助さんが真剣白刃取り、ひっくり返したところに格さんがボディに当て身を入れる。
後日、逸見さんがやってきて、「今、オールラッシュ(粗編集した映像)を観てきた。上野さんの殺陣は正しい。正しいが、ラス立ち(ラストの立ち回り)というのは一種のショーだ、そう割り切って派手にやってくれ」と言うんです。それからは、こちらも開き直った。悪が少ない場合には、唐突でもいいから「出合え、出合え」と言うわけですよ。そうすると20人くらいが飛び出してきて立ち回りになる。
菅原:2時間スペシャルは舞台で言えば3幕物ですが、逸見さんは2幕の最後に「静まれ」と印籠を出し、3幕の大詰めでまた「静まれ」のシーンを作るんです。山内監督が「逸見さん、2回も『静まれ』はおかしくないですか」と言うと、「いいんだ。“偉大なるマンネリ”で。グリコの景品も1つよりは2つがいい。中だるみしたら、『静まれ』に限る」と言うんですね。
上野:むしろ、「マンネリができたら一人前だ」という考え方だよね。
菅原:「水戸黄門」が変わっていくのは逸見さんが亡くなってからだね。偉大なるマンネリを避けようとしたのが逆に良くなかった。
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