【柴田勲のコラム】「長嶋茂雄」を最後まで演じ切った長嶋さん…パーティにあえて“遅刻”、栄光の「3」復活披露を焦らしに焦らした深すぎる理由

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パーティや結婚式ではあえて遅刻

 平凡なゴロでも全力で突っ込むダイナミックな守備、空振りした時にヘルメットを飛ばす、オーバーとも思える果敢な走塁……計算に計算を重ねていた。

 パーティや結婚式でもそうだった。始まる時間に会場にはいない。盛り上がったところで登場する。司会者が「ただいま長嶋さんが到着しました」とアナウンスすると、会場がこれ以上ないほど沸く。

 登場のタイミングを計っていた。実際は始まる時間のだいぶ前から到着しており、駐車場の車の中で待機していた。

 私は「車の中にいるのに……」と思っていたが、長嶋さんはどこで登場しようか考えていた。登場の仕方は絶妙だった。

栄光の「3」復活も焦らしに焦らして

 これだってどうやったら受けるか、喜んでもらえるかと計算してのパフォーマンスだろう。00年、背番号を「33」から「3」に変更した。栄光の番号の復活だ。

 スポーツ紙やテレビのカメラは宮崎キャンプでの背番号「3」の初披露を追っかけてシャッターチャンスを待った。

 長嶋さんは当初、ユニホームの上にウインドブレーカーをはおって見せようとはしなかった。記憶だと10日間くらいかな。焦らしに焦らせた。

 そしてこれ以上待てない。気運が高まったところで初公開した。スポーツニュースで大きく取り上げられたし、スポーツ紙もほとんど一面だった。

 巨人は話題に乏しかったが、背番号「3」の初公開で話題作りに貢献した。しっかり計算した上での行動だった。

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