【柴田勲のコラム】「長嶋茂雄」を最後まで演じ切った長嶋さん…パーティにあえて“遅刻”、栄光の「3」復活披露を焦らしに焦らした深すぎる理由

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柴田勲が見た“ミスター”の信念と人生

第1回【長嶋茂雄さんが「一番幸せな死に方を知っているか?」と言った日のこと…人の悪口を一切言わず、イメージを守りぬいた“ミスター”の秘話】を読む

 2025年6月3日、長嶋茂雄氏が逝った。ミスタージャイアンツとして、多くの人に影響を与えた日本球界のスーパースター。プロアマを問わず、長嶋氏に憧れて野球を始めた選手は数多い。尊敬する先輩、監督として長嶋氏を見続けた柴田勲氏もその1人だ。好評連載コラム「柴田勲のセブンアイズ」、今回は特別編として長嶋氏の思い出を語りつくす。

(全2回の第2回)

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「野球小僧」で“罰金”を総取り

 長嶋さんはファンが抱く「長嶋茂雄」のイメージを壊さないようにし、また「長嶋茂雄」を演じ続けてきた。

 V9時代のV3のキャンプ打ち上げだったと思う。川上(哲治)さんの方針で巨人には罰金制度があった。バント失敗、サインの見落とし、幹部批判などに課せられた。前年分約30万円あり、川上さんはナインに平等に配ろうと考えていたようだ。

 宴会が始まりカラオケ大会となった。長嶋さんの出番となり、みんなが注目した。

 長嶋さんは舞台袖からふすまをソーっと開けて、周囲をキョロキョロ見回すパフォーマンスで登場した。野球帽を斜めにかぶっていた。

 歌い出した。「野球小僧に逢ったかい 男らしくて純情で……」

 灰田勝彦さんの「野球小僧」だ。それを身振り手振りのジェスチャーでやったものだから、これがおかしくてみんな腹を抱えての大爆笑となった。

 川上さんは方針変更、長嶋さんに30万円が渡った。全部さらっていった。

影で考え抜き、計算をする努力の人

 まあ、その罰金のほとんどは長嶋さんのものだったから、結局は自分で取り返したようなものだ。私が盗塁のサインで走った時に慌てて打ったことが何度かあった。後で「エンドランのサインだったよな」とか「いまのサインはなんだった」と聞きにきていた。

 宴会が終わった後、長嶋さんに「即興ですか? うまいですね」と尋ねた。長嶋さんは真顔で言った。

「バカなことを言うな。どうやったら受けるか、1週間前から考えていたんだ」

 だれも見ていない場所で練習していたんだね。これにはビックリした。

 長嶋さんの行動は一見して思い付きと取られることがある。確かにそう見えることもあるが実際は違う。どうやったら受けるか、注目を集めることができるか、喜んでもらえるか、考え抜く。計算をする。陰で努力をしていた。

 その努力を人前では見せなかった。一度こんなことを話した。

「世間ではオレのことを天才だという。でもオレは天才なんかじゃない。努力の人間だ。本当の天才はワンちゃん(王貞治さん)のような人のことを言うんだ」

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