【柴田勲のコラム】長嶋茂雄さんが「一番幸せな死に方を知っているか?」と言った日のこと…人の悪口を一切言わず、イメージを守りぬいた“ミスター”の秘話

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実は母の亡くなり方だった

 私がこの話をしたら三奈さんがこう言うではないか。

「柴田さん、それはおばあちゃんがそういう亡くなり方だったんですよ」

 長嶋さんの母・チヨさんが亡くなられたのは94年7月、92歳だった。チヨさんは千葉にある家の縁側でスヤスヤと居眠りをしており、しばらくして家の人が「おばあちゃん」と声をかけたものの、息を引き取っていたという。

 長嶋さんの「理想の死に方」を母のチヨさんが代わってしていたのだ。お母さんが亡くなったあとに「理想の死に方」を聞いていたならまだ分かるが、亡くなる何年も前に聞いていたことになる。

 2人で顔を見合わせた。

 長嶋さんは04年3月に脳梗塞で倒れた。以来、懸命のリハビリに励んで同じ病気で倒れた方々を勇気づけた。でもねえ……「理想の死に方」を求めていた長嶋さんには一番なりたくない病気だったと思う。

大事にしていた「長嶋茂雄」のイメージ

 長嶋さんは「オレは背広とワイシャツを作る時に仮縫いをしたことがない」と話していた。理想の体型は181センチ、体重は77キロだったと覚えている。これは入団時のものだ。

 76キロになるといつもより食事を多めに摂る。78キロと増えていたらランニングをする。サウナに入って落とす。

 サウナに入った後は水を飲まない。ボクサーのように減量が目的だ。

 長嶋さんは世間が抱く「長嶋茂雄」のイメージをとても大事にしていた。体型維持は重要なことだった。

 私は長嶋さんから人の悪口や中傷、告げ口を一度も聞いたことがない。

 さらに言えば政治・宗教・女性に関する話も一切しなかった。自分の発する言葉がどれほど世間に影響を与えてしまうのか。知っていたし戒めていたのだろう。

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