【柴田勲のコラム】長嶋茂雄さんが「一番幸せな死に方を知っているか?」と言った日のこと…人の悪口を一切言わず、イメージを守りぬいた“ミスター”の秘話
選んだ形見は背広や帽子
長嶋さんには公私に亘って最も懇意にしていただいた。かわいがってもらった。兄貴のような存在だった。伊豆・大仁の自主トレにもお願いして同行した。食事の回数は数えきれない。
亡くなった翌日の4日から出棺の7日まで4日続けて田園調布の長嶋邸に通った。最後の最後まで見届けたい。こんな気持ちからだった。
亡くなった後のお顔を見せていただいた。きれいだった。
「長嶋さん」と声を掛けたら、「オウッ、柴田か。また来いよ」と言われているような気になった。離れがたかった。
少し落ち着いた後、喪主を務めた三奈さんから連絡をもらった。
「柴田さんは身内みたいな人です。父の形見分けをしたい。家に来てください」
背広が50着以上、ネクタイ、セーターなどがズラリと並んでいた。「好きなものをどうぞ」と言うのでN・Sの刺繍が入った背広を2着、ネクタイを5、6本、散歩用の帽子をいただいた。
長嶋氏が語った「一番幸せな死に方」
自然、三奈さんとは長嶋さんの思い出話になった。エエッと驚くことがあった。
長嶋さんが充電期間中(※)のことだった。海外に出掛けることが多かったが、日本に居るときはしょっちゅうゴルフに誘われた。何十回行ったかな。
前の晩に電話がかかってくる。「オイ、明日行くぞ」こんな感じだ。もちろん、長嶋さんのお抱え運転手が迎えに来る。ある時、そんなゴルフの帰り、車の中で長嶋さんがこんなことを聞いてきた。
「柴田よ、人間にとって一番幸せな死に方を知っているか?」
長嶋さんが40代後半か50代に入ったころだったと記憶している。その長嶋さんから「死に方」なんて言葉が出たから私は何も言えなかった。
「オレはこう考えている。家の縁側のコタツに入ってひなたぼっこをしながらミカンを食べている。そのまま居眠りをしてスーと逝くのが理想だな」
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