「いい人」は戦争を起こすから危ない――有名国際政治学者が名指しした「二人の政治家」の名前

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 戦争というものは、ヒトラーのような悪人が始めるものだと、多くの人は考えているのではないか。しかし、戦後の国際政治学をリードした高坂正堯(1934~1996年)氏は、むしろ善人が戦争を起こす危険性について警鐘を鳴らしていた。

 なぜ「いい人」が戦争を始めるのか――高坂氏の「幻の名講演」を初めて書籍化した新刊『歴史としての二十世紀』(新潮選書)から、一部を再編集して紹介する。

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誰が世界大戦を始めたのか

 注目すべきことは、第1次世界大戦を始めた政治家たちはどちらかというと、いい部類の人間なのです。私は個人的に、第2次世界大戦を指導した政治家よりも、好感が持てます。我々に近い感じもする。どこが近いところかというと、ヒトラーやスターリンのように強い権力意識を感じさせない。並外れていいこともしそうにないが、ものすごく悪いこともしない感じが、割と普通の人間並みなのです。だからこそ、そんな彼らが第1次世界大戦を始めてしまった点に、着目しなければいけません。
 
 ここで二人の人物をご紹介します。一人はテオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク。当時のドイツ帝国宰相です。7月30日、戦争が始まって2日後、自分の秘書官リーツラに対して「我々は正義を失った。地滑りが始まった。もうどうしようもない」と漏らしています。こんな怖しい事態をまねいた人物が、「外交的な動きが自動的に起こってしまい、制御不能になって、各国が戦争に突っ込んだ」と、告白しているわけですから、なんと気の弱い人なのでしょうか。

 その後、ベルンハルト・フォン・ビューローという、ベートマン・ホルヴェークの前の首相が、「一体どうしてこんなことになったのかを話してくれ」と、彼のところに行きます。それに対してベートマン・ホルヴェークは、「誰にわかるものか」と、なんとも頼りなく答えています。

 付言すると、第1次世界大戦を起こした一番悪い人間は誰かといえば、おそらくこのビューローでしょう。ドイツ帝国の世界政策を推し進めるため軍事力増強を試みたものの、それに失敗して首相をやめたという経緯もあり、つまりはマッチポンプで、焚きつけておきながら「なぜこんなことになったのか」と訊きに行く人物です。現首相にしてみれば、「誰にもわかるものか」と、言い返したのかもしれませんが、それは呻くようだったといわれていますから、本心から「なんでこんなことになったんだろう」と思ったんでしょう。

 同じことは、もうひとり、イギリスの外務大臣エドワード・グレイにも見られます。グレイは8月3日、ドイツと戦う必要性を議会で演説します。その結果、翌日、対独宣戦布告が行われますが、その後、「戦争は嫌だ、戦争は嫌だ」と、彼は発言するのです。なんとも頼りないですが、人間ってこんなものだと思います。そして、彼らのことを私は嫌いではありません。

権力に対する意識の欠如

 ベートマン・ホルヴェークに行政能力はありました。しかし、ある人の言葉を借りれば、彼は「権力に対する意識を欠いていた」「権力に対する完全に安定した本能を欠いていた」「権力を有することの喜びを感じることができなかった」というのです。
 
 自分にはたまたま能力があり、他になり手がないので、彼なりの責任感からドイツ帝国宰相の地位を引き受けたと。これをやらなければならない、という強い意志を持った人間ではなかったようなのです。その結果、想定外の事態が起こると、このような人物は往々にして無力になってしまう。また、危機に際しては運命論に打ち負かされやすかったようです。

 小市民的であったのはグレイも同様で、彼の趣味はバードウォッチング。週末にロンドンから田舎の家に戻って、鳥を観察するのをなによりの幸せとしていました。彼とて、英国紳士ですからたまには策略もこらし、平時ではしたたかな政治家でもあったようです。しかし、本当に困難な事例に直面すると平常心を失い、精神がおかしくなるような傾向もあったという記録もあります。
 
 第1次世界大戦を始めてしまった政治家が、気の小さい、どこにでもいる人間であったことが重要なのです。

 以上、私が申し上げたかった二つは、まず兵器の技術が進歩し強大な軍事力を使う立場の軍人は、第1次大戦に際して自信満々だったということ。そして、政治家はそれ以前に稀に見るような平和な時代が続き、なんとも平凡な人間ばかりになってしまっていたこと、なのです。

 19世紀は貴族社会が次第に崩壊して中産階級が力を持ってくる時期です。中産階級というのは、どういう人たちかといえば、我々の周りにもいるような普通の人間です。他方、正直言って、ヨーロッパ貴族の話を聞くと、私も自分があのようになれたらと憧れるところがあります。うんと無駄遣いをしても平気。他人が死んでもそう涙を流しませんが、親友が死んだら悲しむ。そのような気高い生き方もあるのです。
 
 ただし、それが無理なくできる人とできない人があって、生まれたときから、お前は貴族で庶民と関係がないという教育を受けたら話は別ですが、生まれたときから人間みんな一緒と育てられたら、貴族としての威厳や誇りを持った高貴な心の持ち主になりません。つまり、平和と平等の時代がもたらした政治家が、グレイや、ベートマン・ホルヴェークなのです。
 
 いずれにせよ、軍人と政治家、民衆、各々に事情はありましたが、戦闘がヨーロッパ全土に広がってしまった最大の理由は、政治家の責任放棄にあるように思われます。

※本記事は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

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