「およげ!たいやきくん」を歌った「子門真人」はプロ歌手ではなく“サラリーマン”だった…歴史的ヒット曲のギャラが「5万円」だった裏事情

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詩に込められた想い

 子門は1993年、隠遁。中軽井沢の別荘で、偶に乗馬を楽しみながら、夫人と静かに暮らしている。「将来は大自然の中で暮らしたい」という希望を口にし始めたのは、「たいやきくん」を歌ってしばらくのことだった。

 ただ1987年、一時的にフリーのミュージカル・プロデューサーとなったことがある。「どうしても作りたい作品がある」、と会社を辞めたのだった。作品は、「インディアン酋長 ビッグ・サン」。立場を越えて、互いを理解することの大切さを謳った内容だった。

 最後に、詞についても触れておきたい。作詞した高田ひろおによれば、「本物の鯛はみんなに重宝されるのに、たい焼きは寒空の下、ただ焼かれるだけで可哀そう」というところから、たい焼きを大海で冒険させるというアイデアを思い付いたという。

 しかし、実はこの「たいやきくん」、当初の放送関係者の評判は最悪だった。子供向けの番組で、歌が流せるのは本来なら2分程度なのに、原曲が4分程度あり、しかも、ストーリー性がある歌詞のため、途中で終わらせるのも難しいという理由だった。よって、作詞した高田は、しっかりと終わらせるため、最後は人間に食べられる、上記の詞の結論にした。

 だが、そのことが、「ずっと心に引っ掛かっていた」と言う高田は、2002年、「およげ!たいやきくん」の続編を発売。タイトルは「踊れ!たいやきくん」。海の中でたい焼きが、カニやタコと自由に楽しく遊ぶ内容となっている。高田は北海道釧路市の生まれ。幼少期、銭湯を出ると熱々のたい焼きを両親が買ってくれ、それを懐に入れて、温かくして帰るのが、嬉しくてしょうがなかったという。

【第1回は「『およげ!たいやきくん』誕生から50周年! 累計457万枚の国民的ヒットを支えた“子ども”でも“若い女の子”でもない意外な客層」大ヒットを支えたのは意外な人たちだった!】

※1)オリコン調べによれば、上位トップ3は、『およげ!たいやきくん』(457万7000枚)、『女のみち』(宮史郎とぴんからトリオ。325万6000枚)、『世界に一つだけの花』(SMAP。313万2000枚)(*2025年1月調べ)。

※2)筒美は本名、渡辺栄吉でレコード会社の洋楽担当ディレクターをしていたが、その時期にも曲は書いており、『黄色いレモン』は筒美京平と改名してからの初めてのシングル作曲作品。また、制作時期的には寺尾聰率いる「ザ・サページ」に提供した「涙をふいて」という曲が筒美京平名義の初の楽曲という説もある(こちらはアルバム内収録曲)。

瑞 佐富郎
愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。「デイリー新潮」での執筆等、プロレス&格闘技ライターとしての活動が中心で、著者も多数上梓しているが、ライブハウス通いを好み、音楽にも造詣が深い。携わった書籍に『All You Need Is THE BEATLES』(宝島社)などがある。

デイリー新潮編集部

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