「およげ!たいやきくん」誕生から50周年! 累計457万枚の国民的ヒットを支えた“子ども”でも“若い女の子”でもない意外な客層
12月25日と言えばクリスマスである。一方で、新聞やテレビなど、各メディアにある「今日は何の日?」コーナーでは、雑学として、以下のように紹介されることが多い。
〈「およげ!たいやきくん」の発売日(1975年12月25日発売)〉
「およげ!たいやきくん」は、シングルレコード(ドーナツ盤)として450万枚以上を出荷し、未だに歴代シングル売上ランキングにおいて1位に輝く、昭和世代にとっては圧倒的に有名な曲である(※1)。今年は、その発売から50周年の節目となった。同曲が「なぜ売れたのか?」も含め、当時の知られざる逸話を紹介したい(文中敬称略 全2回の第1回)。
【写真を見る】 抜群の歌唱力! 熱唱する子門真人や大ブームとなった当時の写真など
初日に35万枚!
子門真人が歌った「およげ!たいやきくん」は、現在までに(CD盤を含め)457万枚以上を売り上げ、2008年には「日本で最も売れたシングル曲」として、ギネス記録にも認定されているモンスター・シングルだ(掲載は「ギネス世界記録2009」)。これに先立つ2000年には「20世紀デザイン切手」シリーズの切手にもなっている。
まさに20世紀を代表する曲だが、こちらはもともと児童向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ系)の挿入歌の一つだった。同番組では、「今月の歌」としてさまざまな子ども向けの曲を流しており、そのうちの一つという扱いだった。ところが、1975年10月5日からこの曲が番組内で流れ始めると、徐々に問い合わせが増え始め、11月も流されることに。
30分番組の「ひらけ!ポンキッキ」は当時、毎週月曜日から金曜日の午前8時15分と、午後4時15分からも放送される、いわば「週10回放送」という露出の多さも後押しをしたのか、人気はグングン上昇し、遂にシングル盤として発売されることに。それも、本来なら1976年1月10日発売予定だったところを、前倒しして、75年12月25日発売となった。それほどレコード化希望の声が後を絶たなかったのである。
いざ発売されると、初日に何と35万枚以上を売り上げ、約半月後の1月10日には150万枚を突破。以降も毎日10万枚のオーダーがあり、オリコン・チャートにも反映され、1月12日付けのランキングで初登場1位を獲ると、以降、11週連続で1位に。2月16日には、2匹目のドジョウ(たい焼き?)を狙ってか、アンサーソングとして「私の恋人、たいやきくん!」が発売(歌:山本リンダ)。歌をモチーフにした絵本の発売はもちろん、3月13日からは、「天才バカボン」や「タイムボカン」を併映する映画企画「東宝チャンピオンまつり」内で短編映画化。来場者には、たい焼きくん帽子がプレゼントされた。
空前の人気にあやかろうと、同年内には子供向けソングが続々と発売されることに。同じく「ひらけ!ポンキッキ」から生まれた「パタパタママ」も大ヒットし、こちらもNHK「みんなのうた」から生まれた有名曲「山口さんちのツトム君」が発売されたのは、たいやきくん発売からちょうど半年後のことだった(1976年6月)。
さらにこのブームは、音楽以外でも話題も生んだ。そう、本物のたい焼きも売れ始めたのである。たい焼き屋には連日、行列ができるほどだった。『微笑』(祥伝社)1976年2月21日号には4ページに渡り、以下の特集記事が。
〈「およげ!たいやきくん」で突然のブーム たいやきのお店、屋台30選!〉
行列を避けるためか、子供の要望か、「家庭用たい焼き機」も年明けからの1ヵ月で3万個売れたという。ところが、仰天の事例も続出する。各報道を見て頂こう。
〈(子供が)本物の鯛焼きを水の入った金魚鉢に入れ、「ママ、どうして泳がないの」と聞いた〉(週刊読売。1976年1月24日号)
〈(主婦の声で)「きょう、娘はたい焼きを抱いて寝ました。たいやきくんがかわいそうで食べたくないんですって」〉(毎日新聞。1976年1月11日)
[1/2ページ]


