“高羽さんの事件”のように「犯人が自首してくれないかな…」 世田谷一家殺害事件から25年で“94歳の遺族”が明かした複雑な胸中「犯人を探せないで申し訳ないです」
背中が丸まった94歳の宮澤節子さんは、何度も絞り出すようにこう語った。
「なんであんなことになったのか。25年間もわからないのが不思議です」
東京都世田谷区に住む息子のみきおさん(当時44)一家4人が2000年暮れに自宅で惨殺され、間もなく25年になる。犯人は特定に至っておらず、未解決のままだ。節子さんは「なぜ」と首を傾げる日々が続いていたが、今年は早期解決に向けて一緒に活動してきた仲間の1人から朗報が入った。期待が少し膨らんだが、それだけでは語れない複雑な心境も吐露した。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】
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【写真】カレンダーに引かれた斜線は“事件解決の知らせがなかったことを示す印”。遺族は「毎日午前0時を過ぎると、今日もダメだったな、って思いで斜線を引くんです」と語る。
それは1999年11月に名古屋市西区に住む主婦の高羽奈美子さん(当時32)が自宅で殺害された事件で、犯人が逮捕されたという一報だった。節子さんが所属する殺人事件被害者遺族の会「宙の会」を通じて知った。
「やっぱり逃げきれないんだね。(うちの事件でも)捕まるんじゃないかな。1つ解決したから次々といかないかな」
祈るような気持ちの裏で、やはり四半世紀も未解決という現実が、節子さんの感情にブレーキをかけていた。
「でもなかなかそうはいかないだろうな。やっぱり事件が違いますからね。高羽さんの事件は犯人が警察に行ったんですよね。だから(私の事件でも)自首してくれないかな。それしかないかなと思っているんですけど、どうなのかな」
そしてこう嘆息する。
「私が元気なうちになんとかなんないかなと思っているんですけど。もう歳ですから、あと何年生きられるか」
「今のうちに聞いておいてください」
節子さんは埼玉県の自宅で1人暮らし。週に2日はデイケアセンターへ通っている。親族や当時の元捜査員らが定期的に様子を見に来てくれるが、日常生活では多くの高齢者のおひとり様と同じような暮らしを送っているのだ。
特にここ数年は高血圧のせいか、転倒が多くなった。今年に入ってからも自宅の裏口を出たところで転んでしまい、今も左腕と腹部が痛む。3年前に転んだ時の足の痛みもまだ燻っており、歩くのも大変だ。このため、毎年末に現場近くで開かれる、事件解決を祈る集会には昨年から出席していない。命日の墓参も同様に、昨年から行けなくなった。不透明な先行きを意識してか、取材ではこんな思いも吐露する。
「本当に忘れてしまうかもしれないから、今のうちに聞いておいてください。これからは段々(記憶が)ダメになるから。私もこんな年まで生きているとは思わなかったから、よく頑張ってきたなと」
とはいえあの日の記憶は鮮明だ。
その年のクリスマス会はイブより1日早く、12月23日に開かれた。みきおさんの自宅で、長女のにいなさん(当時8)と長男の礼君(当時6)が、節子さんのためにクリスマスの歌を歌ってくれた。みきおさんの妻、泰子さん(当時41)は塾の先生をしていたため、不在だった。節子さんは翌日から義兄の手伝いのため、出身地の岩手県へ帰省し、正月の準備をしていた。ところが12月31日夜、親族の1人から「今から帰るから準備をして」といきなり告げられ、車で埼玉県の自宅へ帰った。その車中でのラジオ放送で、事件の報道が流れた。
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