昔のテレビは「電通」と「警察」を批判できなかった! “あの頃は良かった”とも言い切れないマスコミ裏事情(古市憲寿)

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 コンプライアンスという言葉をよく聞くようになった。だが「コンプライアンス」とは何か。英語Comply(要求や命令に応じる)の名詞形で、最もシンプルな訳は「法令順守」。ビジネス分野で「コンプライアンス」という概念が発達したのはアメリカだ。

 企業の不祥事が相次ぐ中で、企業に法律を守らせる仕組みが必要だということになり、社内規程や内部統制、監査や研修などが整備された。それが日本にも輸入され、現在では「法令を含む社会規範を守りながらビジネスを進めていくこと」と理解されている。

 このコンプライアンスが社会を息苦しくしているという話がある。一面では事実だ。だが同時に問わなければならない。昔は本当に自由だったのか、と。

 今のテレビはコンプライアンスに厳しいといわれる。少しでも差別的に解釈できる表現があると目の色を変えて怒り出す人がいるのも事実だ。

 だが昔のテレビにもタブーがあった。その一つが「電通」の話題だ。日本を代表する広告代理店だが、テレビ局の主な収入源であるCMにおいて電通の存在が欠かせない以上、正面から批判をするのは難しかった。だが今やタブーは完全に消えたと言っていい。過労死事件やオリンピック問題などがあり、各メディアは堂々と電通を批判するようになった。

 さらにさかのぼれば桜タブーなんてものもあった。「桜」は警察の紋章。かつては警察に嫌われると取材がままならないといった理由で、マスメディアは警察不祥事などの報道に及び腰だった。

 要は平成のある時期までの日本というのは、なれ合いの社会だったのだ。メディアと芸能界、企業、国家権力が持ちつ持たれつの関係を形成し、恩の貸し借りで仕事を回していた。「この件を握りつぶしてくれたら、次にこの仕事をあげる」といった具合だ。ある意味でとても安定した社会だ。

 だが今は、情報の隠蔽(いんぺい)が非常に難しい。写真や動画はSNSを通じて一瞬で拡散される。口封じができなくなった。普通に考えれば何でもありな時代になりそうだ。でもそうはならなかった。タブーが消え去った後には、また新しいタブーが現れた。それがコンプライアンスである。

 法令順守は当然のことに思える。少なくとも警察が不祥事を隠蔽するよりずっと、社会的に正しそうだ。だが問題は、コンプライアンス違反の摘発には常に恣意性がつきまとうことだ。ほとんどの人間は、全ての法令や倫理を守って生きていくことはできない。

 自転車で歩道を走ることや、深夜の赤信号を渡ることは道路交通法違反になり得る。相手の髪形や服装を褒めたら「セクハラ」と言われるかもしれない。休日にメールを送っただけで「パワハラ」と言われるかもしれない。

 警察の微罪逮捕のように、世を騒がすコンプライアンス違反には何か別の思惑があるのではないか。陰謀論に陥らず、しかし冷静に見極めるようにしたい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年12月18日号掲載

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