“面白いことを楽しむ”姿勢貫き… 温かくてちょっと照れ屋、嵐山光三郎さんの生き方【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は11月14日に亡くなった嵐山光三郎さんを取り上げる。

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人間をよく観察

 作家の嵐山光三郎さんは、多才だ。出発点は出版社の編集者。請われて1980年代初めからテレビに出演。作家活動が中心になると、軽妙にして核心を突いたエッセイから膨大な資料にあたり研究書といえるような濃密な作品まで著した。

 約50年の親交があるイラストレーターの南伸坊さんは振り返る。

「私の5歳年上ですが、先輩風など吹かせません。面白いと思うことを一緒になって楽しむ姿は昔から。何かに興味を持つと裏返して考える、もじる、連想を広げるなど50ぐらい切り口が飛び出した。編集者らしい企画力や提案力ですが、人間をよく観察されていた。文章も諭したりせず面白い。そうだなと自然に納得できる内容が何げない様子で混じっていて、温かくてちょっと照れ屋の人柄そのものでした」

異色の編集者

 42年、静岡県浜松市生まれ。本名は祐乗坊英昭。珍しい姓で古くは医師に連なる家系という。

 國學院大學文学部に進み、65年、平凡社に入社。テレビコマーシャルにも出演、異色の編集者としてサラリーマン時代から有名だった。

 山口瞳さんの長男で作家の山口正介さんは思い返す。

「新宿のゴールデン街で嵐山さん、唐十郎さんと三人で飲んでいた時、他のお客と唐さんがケンカを始め、相手が血まみれに。嵐山さんは全く動じず私に“息子が生まれたんだ”と写真を取り出して見せてくれた。無頼なようで繊細で相手の心を冷静にくみ取っている。親友の唐さんだからこそ放っておく方がいいと分かっていたのですね」

 元NHKアナウンサーで作家の下重暁子さんも言う。

「私が古い布に興味があるとどこで知ったのか、筒描きという伝統的な描画技法が凝らされた布を取材する仕事を与えて下さった。今でこそ美術品扱いも、70年代は注目されていなかった。ただ知られていないものを世に出して流行を仕掛けてやろうとの、みみっちい考えはお持ちでない。美しくて面白いから皆で楽しもうとの姿勢です」

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