世界に誇る「コミックス文化」誕生の鍵となった作品とは

エンタメ 2019年8月14日掲載

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 7月7日、海賊版サイト「漫画村」の運営者が逮捕されたことが大きなニュースとなった。こうした海賊版サイトがはびこるのは、日本のマンガの人気の高さの証明でもある。残念なことに日本国内のみならず、外国のマンガファンもこうしたサイトを利用しているという。

 日本が世界に誇る文化の一つが、マンガであることはすでに誰もが知るところだろう。国内のみならず世界中で人気を博した最大の原動力が、それぞれの作品の魅力なのは間違いないものの、見過ごされがちなのは日本で独自発達した「コミックス」というハードの魅力だ。

 いささかややこしいが、ここで言う「コミックス」とはマンガと同義ではない。日本の出版界においては雑誌連載の漫画をまとめたソフトカバーの単行本のことを「コミックス」と呼ぶのだ。「ONE PIECE」も「SLAM DUNK」も基本的にはこの形態で最初は出版されているのはご存知の通り。

 このコミックスが誕生したのは1966年(昭和41年)のことだった。それまでのマンガといえば週刊誌や月刊誌の連載がメインで、読み捨てられる存在だった。もちろん、戦前の「のらくろ」のようにハードカバーの単行本として刊行される作品があるにはあったのだが、ごく限られた作品に過ぎなかった。

 また、アメリカではスーパーマンなどの人気マンガは、カラー印刷の薄い冊子のような形態で売られるのが一般的で、判型も大きい。

 当時、出版界においてコミックスは、ハードとしては新しいものだった。手軽で読みやすいし、価格も手頃。子供にもウケるはず。そんな計算が出版社側にはあったはず。しかし、刊行された当初はヒット作は生まれず、惨敗といった状態。

 そのままでは、コミックス文化は生まれなかったかもしれないし、必然的に現在のように日本のマンガが世界を席巻することにはならなかった可能性もある。

 局面を変えたのは、たったひとつの作品の刊行だった。

 大きなターニングポイントとなった作品とは何か。

 知られざるコミックス誕生秘話の経緯を、ノンフィクション作家の本橋信宏氏が新著『ベストセラー伝説』で明かしている。以下、歴史を振り返ってみよう(以下、引用は同書より)。

 1966年、秋田書店では看板雑誌の月刊漫画誌の売り上げが下り坂になっていた。同社の編集者の秋田君夫氏(同社の秋田貞夫社長の親戚)は、コミックスを成功させることを夢見ていた。

「これからはコミックスの時代になると確信したんです。コダマプレスというところから漫画の単行本が出ていましたが全然売れていなくて間もなく潰れてしまう。小学館も何点か出したけど全然だめで、取次もこの形態では無理だという。でもまだ2社しか参入していないから、3番手でやりましょう! と社長に進言したんです。社長に呼ばれまして、『せっかくアイディア出してもらったけど、調べた結果、2社とも惨敗だった、無理だ。止めよう。うちはやらない』と言われたんです」

 ワンマン社長の言うことは絶対だった。だが、君夫氏はこう反論した。

「コミックスの時代は必ず来ます。大手が本格的に乗り出してこないときだから、秋田書店がコミックスを売り出すチャンスです。コダマにしても小学館にしても失敗したのは、両社ともインパクトがある作品ではなかったからです」

 コダマプレスは1966年に白土三平の『真田剣流』や手塚治虫の『ロック冒険記』等を、また小学館も同年ゴールデン・コミックスとして白土三平の『カムイ伝』やさいとう・たかをの007シリーズ等を刊行していた。どの作品も名作なのだが、子どもたちが飛びついて買うようなものではなかったのだろう。

 秋田社長は君夫氏に切り返す。

「じゃあ、おまえが出したいコミックスは何だ?」

「石森章太郎(後に石ノ森章太郎)の『サイボーグ009』です」

 当時、「少年キング」(少年画報社)に連載されていた「サイボーグ009」には一部の熱心なファンがいるだけだったが、君夫氏の熱意が通じ、この年の7月に秋田書店のコミックスの第1弾として同作が刊行されることになった。

 これが当たった。初版はすぐに売り切れ、重版に次ぐ重版となった。君夫氏の話。

「ただ、その頃は今と違って漫画が売れても何十万部という時代じゃありません。『009』の細かな売れ行きは忘れましたが、一般的に当時は、初版は1万部程度で重版も千部ぐらいずつでした。それでもみんな、『売れた、売れた』と言って喜んでいました。そうしたら社長が『次を出せ、次を出せ』と催促してくる」

 問題は、同作が「少年キング」では人気がさほどなかったため、連載が終わっていたことだ。ただし、発表の場を「少年マガジン」に移して、「009」は続いてはいた。

「少年画報社分の原稿はすべて終わってしまって、あとは『少年マガジン』連載中のものを取ってくるしかない。『講談社が連載中のものをこちらに譲ってくれるかどうか分からない』と私が逡巡していたら、社長が『だったら、俺が交渉してくる』と言って、本当に講談社から原稿をもらってきてしまったんです」(同)

 このヒットを見て、翌年には講談社が講談社コミックス、3年後には集英社がジャンプコミックスを刊行。こうして手軽に漫画が読めるコミックス文化が日本に定着していくことになっていく。

 大成功に終わった『サイボーグ009』のコミックス化に関連して、君夫氏には苦い思い出がある。第1巻の見本が刷り上がったばかりの時だ。その見本を持って、原作者の石ノ森章太郎氏の仕事場を訪れた。(以下のエピソードは書籍未掲載で、取材時に伺ったもの)

「石ノ森先生も喜んでくださってね。『俺のマンガもついに本になったか』と感慨深げに1ページ目を開いて、さっと顔色が変わったんです。『なんだ、これは!』って」

 なんと1ページのマンガが天地逆になっていたのである。

「人や建物だったら天地逆になっているのはすぐにわかります。しかし、1ページ目はセリフも何もなし。ただ爆弾が落ちてくるシーンを、上下数コマにわたって描いていたんです」

 驚いた君夫氏はすぐに印刷所に電話して、「印刷をストップしてくれ」とお願いして、刷り直してもらったという。本橋氏が言う。

「秋田氏の話しぶりでは1ページ目が天地逆になった本は刷り直したということですが、もしかしたら市中の書店にも一部流れたかもしれませんね。今、その本が見つかったら、コミック史に残る超お宝ものですよ」

「サイボーグ009」のオールドファンは、書棚に同作品のコミックスが並んでいたら、チェックしてみてはいかがだろうか。ひょっとすると大変なお宝発見!となるかもしれない。

デイリー新潮編集部