今さら聞けない「自民党税調」 “ドンの後継者”の就任辞退とインナー外からの「小野寺税調会長」誕生の「意味」とは

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インナー就任を辞退した「税調のドン」の後継者

 とはいえ、メンバーを完全に入れ替えてしまえば連続性が失われ、税調が立ち行かなくなる可能性もある。そうしたことから、2021年よりインナーを務めていた森山裕前幹事長(80)は新体制でも起用がほぼ内定していた。

 ところが、当の森山氏は先に触れた10月24日のインナーの初会合に姿を見せず、後にインナー就任を辞退したことが報じられた。

「森山さんは財務族ですから、高市政権と財務省の間で板挟みになることは容易に想像できます。その彼が小野寺税調会長の下で動くというのは考えにくく、“もはや自分の出る幕はない”と見定めたのでしょう」

 青山氏はそう話す。

「森山さんは、『税調のドン』と言われた山中貞則元通産相の実質的な後継者ですし、森山さん自身、その自負があってインナーの仕事をやってきたはず。だからこそ、石破政権では、“消費税は守り抜く”“政治生命をかけて対応する”と発言していたわけです。一方、そうした古い時代の税調と決別しよう、というのが高市さんの考えですから、森山さんがインナー就任を断るのは理解できます」

 故・山中貞則氏――。自民党税調の歴史を振り返る時、誰もが最初に挙げるのがその名前である。鹿児島県が地盤で、2004年の死去後に行われた衆議院補欠選挙で参議院議員から鞍替えして後継候補となり、議席を継承したのが森山氏だ。

『自民党税制調査会』の著者で元朝日新聞記者の木代泰之氏が語る。

「戦中、台湾で教職についていた山中氏は召集後、中国戦線に配属されており、死線をくぐり抜けてきた男、という感じがありました。とにかく肝の据わった人、野人であることを隠さない人、という印象です」

 自民党税調が誕生するのは1959年。その前年、山中氏は岸信介内閣で大蔵政務次官に就任している。

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