「人が死ぬということに対してさえ、無感覚、無関心だつた」 遠藤周作、阿川弘之、司馬遼太郎、水木しげる…1920~1923年生まれが「決死の世代」と呼ばれた理由
「2、3年したら必ず死ぬ」
以上が前田記者の『戦中派』からの引用である。同書では戦中派作家たちの言葉も数多く引用されている。
「ちよつとしたことに泣いたり笑つたりするような感受性は、戦争のとき、すりへらしてしまつたんですよ。実際あのころは、人が死ぬということに対してさえ、無感覚、無関心だつた。それが今日まで続いているんですね」(遠藤周作)
「戦中派世代の生き残りは、生き残ったことで存在を認められるのではない。(中略)散華した仲間の代弁者として生き続けることによって、初めてその存在を認められるのである」(吉田満)
「戦争が、私から何かを奪い、何かを与えた事件であり環境であったからには、振り返ってみないではいられません。またそれが、私から奪ったものは何であったか、与えたものは何であったか、を考えてみることなしには、前に進めないわけです」(古山高麗雄)
「2、3年したら/必ず死ぬという/ことが本能的に/わかるもんだから/むずかしいもなにも/あったもんじゃない」(水木しげる)
こうした背景と心情を知ってから読めば、彼らが生み出した名作の数々も、さらに深く味わうことができるだろう。
なお、“戦中派”という概念には実に様々な解釈があり、前田記者自身は広範な取材に基づき「1917~1927年生まれ」と独自に定義している。両親や祖父母がこの世代に属するという人もかなり多いのではないだろうか。戦後80年が経った今、自分の肉親がどういう気持ちで戦時中、そして長い戦後を過ごしたのか、思いをはせるのもよいかもしれない。




