過激な「1986年のマリリン」からミュージカルの「ミス・サイゴン」へ 本田美奈子.、本格ソプラノ歌手への夢半ばで旅立った38歳

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契機はミュージカル「ミス・サイゴン」

 生まれは寅さんと同じ葛飾柴又、育ちは埼玉県朝霞。38キロの華奢な身体に似合わないキップのよさは、その辺に由来するのか。小学生の時から「将来は歌手になる」と公言し、それを聞いていた叔母が日本テレビの「スター誕生!」に応募して、中1の時に決勝大会まで残っている。

 結局、高1になって原宿でスカウトされ、17歳でデビュー。アイドルにしては歌が上手いといわれたが、

「本人はアイドルと呼ばれることを嫌がっていました。それだけに、自分を強く印象づけようと工夫していましたね。こうして生まれたのが“マリリ~ン”という振り付けや、当時としては露出が多い衣装です」(芸能評論家の宇都木員夫氏)

 が、その後、ロックバンドを結成するなどアーティスト色を強く出しすぎたからか、失速。そんな時、知人に勧められて受けたのが、ミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションで、1万5000倍の狭き門を潜って主役を射止めた。

「テレビに出ずに忘れられてしまうことを怖がるアイドルが多い」(宇都木氏)という中で、美奈子さんはテレビを捨てて「ミュージカルの世界で不可欠な存在」(同)になった。

体調管理しようと考えていた矢先に

 割り切ることができたのは、大好きな歌について発見の連続だったからだという。自分の持ち声より高い歌も低い歌も、そのままのキーで歌わなければならない。そのためにトレーニングを受けると、驚くような声が出る。いつしかソプラノとしてクラシック音楽に挑みたいという欲求が募っていった。

 再び、神田氏が言う。

「あの細い身体だから、かなり苦労して声をここまで引っ張りあげたのだと思います。本人は、将来はオペラを全曲通して歌えるくらいになりたいと考えていましたが、ただスタミナがない。それなのにレコーディングやツアーの日程が相当過酷に思えたので、オペラ歌手は体調を気にしないと伸びないと説きまして、本人も真剣に体調管理しようと考えていた矢先でした」

 無菌室に入り、抗がん剤による治療が始まった。

「部屋で発声練習やストレッチなどをしながら、親しい人からの励ましのビデオやファンからの手紙を励みに頑張った。5月に臍帯血移植をしてからは、お寿司も食べられるようになったと喜んでいたのに」(芸能レポーターの梨元勝氏)

 7月と10月には帰宅もできたがその都度再発し、11月6日、夢半ばにして帰らぬ人となった。享年38。

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