過激な「1986年のマリリン」からミュージカルの「ミス・サイゴン」へ 本田美奈子.、本格ソプラノ歌手への夢半ばで旅立った38歳
本田さんの最期の日々
2005年11月6日、歌手・俳優の本田美奈子.さんがこの世を去った。急性骨髄性白血病での緊急入院は同年1月のこと。一日も早い回復を祈り続けていたファンと関係者が涙に暮れてから、今年でもう20年が経つ。
それでも、彼女の高く澄んだ歌声が耳に残っている人は多いだろう。1985年にアイドルとしてデビューし、瞬く間に武道館コンサートを成功させるトップの座へ。過激な衣装と振り付けの「1986年のマリリン」は大ヒットとなった。
1990年にはミュージカル「ミス・サイゴン」のヒロイン・キム役を射止め、グランドミュージカルの世界へ。もとより優れていた歌唱力をさらに伸ばし、経験を積むごとに人気は高まっていった。病魔におかされても希望を捨てなかった本田さんの最期の日々を、関係者の証言で振り返る。
(以下、「週刊新潮」2005年11月17日号掲載の「墓碑銘」を再編集しました)
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リハーサルの間も微熱が続き
2004年12月4日、三鷹市で行われた室内合奏団によるコンサートで、テノール歌手の高野二郎氏と共演したソプラノ歌手の名は、本田美奈子.。ヘソ出しルックで腰を振りながら「1986年のマリリン」を歌って一世を風靡した、あの本田美奈子その人である。
コンサートを企画した音楽ジャーナリストの池田卓夫氏が述懐する。
「ミュージカルのためにボイストレーナーについて歌ううちに、クラシックにも興味を持ったそうですが、僕はCDを聴いて、心のこもった歌を歌っていると感心した。音大出身で技巧があっても心がない人の対極にあると思って、出演をお願いしたんです」
すでに2003年、古典歌曲などをソプラノの声で歌ったアルバムを発表していた。
「大学などで専門的な勉強をしていないのに、修練であそこまで歌えるようになったのはすごいと思う。ここ数年ぐんぐん伸びていたし、本人も発展途上にあると認識していました」
と、件のコンサートで指揮とピアノを担当した神田慶一氏も言う。美奈子さんの前向きにして謙虚な姿勢に打たれたと付け加えるのだが、すでにその時、病魔は彼女に忍び寄っていた。
「リハーサルの間も微熱が続き、“こんなことないんですけどドジしちゃって”と言っていた」(池田氏)
急性骨髄性白血病と診断されたのは、明けて2005年、1月22日のことだった。
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