「党にマイナスでも国が第一」と腹をくくり… 首相に“担がれた”村山富市氏、本当の思い【追悼】

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体調が限界で……

 95年夏の参院選で大敗。

「首相を辞める、後任を引き受けると返事してほしいと河野洋平自民党総裁に直談判した。“即答しなかったよ、何で受けないんだ、がっかりした”と話してくれた」(篠原氏)

 戦後50年に際しての「村山談話」など、社会党らしさも実行できたと自負した。

 96年1月に辞意を表明。

「体調が限界に近かった。公邸にひそかに医師を呼んでいました」(田中氏)

 同月、社会党を社会民主党に改称し初代党首に就任。小選挙区比例代表並立制では議席減は必至と考えつつ対応が遅れた。結成された民主党に社民党議員が流出して党は分裂、衰退する。

 2000年、76歳で政界を引退。多くを語らずとも社民党の顔であり続けた。今月17日、101歳で逝去。

「11月2日に社会党結党80周年を迎えるにあたって、記念レセプション向けにビデオメッセージを送ってもらうことになっていました。党は小さくなりましたが、政党は思想集団でも政局の道具でもない、現実の問題にどう対応すれば一番良いのか、絶えず考えねばならんとの姿勢を持ち続けていました」(田中氏)

週刊新潮 2025年10月30日号掲載

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