「徳川家康は日本列島を東西に二分割するつもりだった」――近世史研究の第一人者が辿り着いた「歴史の真相」

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 東京を中心とする関東と、京都・大阪・神戸がある関西。現代日本においてもしばしば語られる二大地域区分ですが、江戸時代にまで遡ってその違いについて考えると、新たな視点が浮かび上がります。

 徳川幕府の統治体制において、西国にはなぜ譜代大名が置かれなかったのか。関ヶ原合戦後の領地配置が示すのは、単なる恩賞や遠隔地支配の方便ではなく、日本列島を東と西に分けた二重国制の構想だったのかもしれません。
 
 そもそも、江戸時代、江戸・大坂・京都の三つの大都市を指して「三都」という呼び方もあり、江戸と上方では、金本位制銀本位制と通貨の仕組みも異なっていました。...

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