生まれた我が子を「怖くて触れない」と言う夫 半年後にようやく抱っこ…これが家庭崩壊の始まりだったのか

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【前後編の前編/後編を読む】44歳夫が応じた「叶えてはいけなかった」不倫相手のお願い “死んでやる”がうっとうしくなった頃には遅かった

 芸能人や著名人の不倫の話題を見るにつけ、「どうしてそんなことするかな」「バレるに決まっているのに」と思う人は多いはずだ。はたから見ればわかることが、渦中にいる当事者にはまったくわかっていない。不倫も恋のひとつである。まっとうな理屈や倫理が働かなくなっているのだろう。

 石本宣之さん(44歳・仮名=以下同)も、家庭がありながら恋にのめりこんだことのある人だ。結果、今はたったひとりで暮らしている。一時期は悔やんでも悔やみきれず、絶望感に苛まれたが、ようやく「なるようにしかならない」と腹をくくったところだという。

後輩と職場結婚、娘に「触れない」

 宣之さんは東京近郊で、両親と妹の4人家族で育った。地元の公立高校から東京の私立大学へ進学、就職は厳しかったが中堅企業に「なんとか潜り込み」社会人となった。

「僕はそんなに活発なタイプではなかったから、高校時代は不登校になりかけたこともありました。でも友だちに助けられて卒業できた。大学時代も友人には恵まれました。勤務先も比較的アットホームな職場で、人間関係は円満だった」

 そんな中で、1年後輩の友梨佳さんとつきあい始め、28歳のときに結婚した。それを機に彼女は退職した。社内規定では退職する必要はなかったが、同じ職場で働き続けることに宣之さんには抵抗感があった。

「友梨佳もそれはわかってくれた。『男は職場が勝負だもんね。がんばって』と。彼女は転職して契約社員として仕事を始めました。なんとなくお互いに考えていることがわかるんですよね。それが結婚の決め手だったような気がします」

 激しい情熱が行き交ったというより、お互いに協力しあって人生を歩んでいけるという確信の強い結婚だった。家庭はそれでいいと宣之さんは思っていた。31歳のときに第一子となる女の子が生まれると、ますます家庭がきちんと確立していくような気がしてうれしかったという。

「ただ、僕の感受性はどこかズレているみたいで、なかなか子どもを抱くことができなかったんです。怖かった。でも怖いと言えず、子どもから逃げていた。友梨佳はそれが不満だったようです。結局、半年すぎるまで子どもに触れることはできず、ミルクを作るくらいのことしかできなかった。妻は僕が子どもをかわいいと思っていないと感じていたそうですが、半年すぎてようやく抱けるようになったとき、『このままだったら家庭が崩壊すると思った』と本音を洩らしました。僕がいかに子どもを大事に思い、だからこそ抱くことができずに固まってしまったんだと説明しても、心から納得はできなかったみたいですが」

 子どもを抱き上げようとしない父親を目の前にしたら、妻はやはり夫に違和感を抱くだろう。ひょっとしたら不信感ももつかもしれない。このとき宣之さんは初めて、「自分はちょっと変わっているのかもしれない」と感じたという。

妻と子供に置いて行かれているような気持ち

 娘が1歳になったころ、妻は職場に復帰したが、半年もたたずに退職した。娘と離れているのが寂しくてたまらない、子育てに専念したいというのが理由だった。

 2年後、双子の男の子に恵まれた。今回こそはと宣之さんも子育てをする気はあったのだが、いざとなるとやはり臆してしまった。友梨佳さんの母が上京し、すぐ近くのアパートに住みながら手伝ってくれなかったら、3人の子育てはできなかっただろうと彼は振り返る。

「それからの10年は、子育てをしながらどんどん強くたくましくなっていく友梨佳と、子どもの成長はうれしいものの、なんだかそこについていけない僕という図式ができあがっていったような気がします。自分が思っていた以上に、僕は『家族』になじめなかったのかもしれません」

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