“日本ロックの原点”を見た少年──ミッキー吉野が語る原体験とゴールデン・カップス時代

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ロック色の強かったカップス

 当時、ザ・スパイダースやジャッキー吉川とブルー・コメッツなどが先鞭をつけたGSブームにおいて、カップスはロック色の強いバンドでもあった。

「GSってエンターテインメント色もあって、僕はスパイダースが好きで中学の頃よく観に行ったんだけど、ブームが(終わるまでが)すごく早かったですよね。1970年に入るとロックになっていった。まあGSもバンドだし、楽器を弾きながら歌うという意味では同じ。ただ著名な作詞家や作曲家の先生の歌をやれとか、まだいろんなものを押し付けられる時代でね。デビューするならこの曲にしろ、とかね」

 ライブでは英語詞の曲ばかりをやっていたカップスだったが、デビューシングル「いとしのジザベル」はなかにし礼作詞、鈴木邦彦作曲。つづく「銀色のグラス」「長い髪の少女」も橋本淳作詞、鈴木邦彦作曲。いわゆる当時の「歌謡曲」に属する曲で、それまでのカップスの路線とは毛色が違ったことも確かだった。

「でも長いことやってきたから、気付いたことがある。『銀色のグラス』なんかは音楽の形としてはロックンロールじゃないけれど、スピリットは社会や親、教師への反発などが入っていたからロックンロールなんだよね。だから、普通ならきれいに演奏するところを大音量でガーンとやっていた。『いとしのジザベル』もそうだけど、バラードで入ってムードを出してから、アップテンポになる曲調はクレージーキャッツのような感じもある。でも中身はロックのスピリットなんだよ」

 残念ながら、2025年5月にギター、ボーカルのエディ藩が亡くなり、主要メンバーで残ったのはミッキーのみとなってしまった。エディ藩が存命だった2022年にリリースしたセルフカバーアルバム「Keep On Kickin' It」には「銀色のグラス」が収録されている。ミッキーとエディがコーラスを担当したほか、Charがボーカルとギター、ハマ・オカモトがベース、金子ノブアキがドラムを担当した。

「僕がガンガンとオルガンを弾いたので、(英ロックバンドでキーボードに特色を持つ)ディープ・パープルみたいな感じにもなったよね。ハマ君なんか完コピしてきたし、みんなカップスが好きで、影響されたと言っていたよ」

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 カップスでの経験を糧に、1971年に米バークリー音楽院に留学したミッキー吉野。第2回【「ガンダーラ」「モンキー・マジック」誕生秘話──ミッキー吉野が語るゴダイゴ結成50年】では、帰国後に結成した「ゴダイゴ」について語っている。

デイリー新潮編集部

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