今の立憲民主党に「高市政権」樹立を止められるか…「野田佳彦」代表が訴える共闘が「理念なき野合」と批判されてしまう理由
理念が存在した細川内閣
「始まりは1988年に発覚したリクルート事件でした。政治とカネの問題を巡って有権者の政治不信が高まり、1992年に自民党の副総裁だった金丸信氏に対するヤミ献金が発覚して有権者の不満は頂点に達します。93年に社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、さきがけ、社民連、民改連の8党による連立政権が誕生したのは、『政治改革を進める』という理念が存在したからです。逆を言えば、政治改革という理念が存在しなければ、8党の連立は実現しなかったでしょう。連立政権が実現した政治改革は本当の改革だったのか、今となっては疑問が残りますが、94年に細川内閣が『小選挙区比例代表並立制』を実現したことで連立政権の役割は終わりました。政治改革という結集軸を失った細川内閣は総辞職に追い込まれ、自民党、社会党、さきがけの3党が連立政権を組み、村山富市内閣が誕生したのです」(同・伊藤氏)
有権者からは立民の準備不足を指摘する声も多い。公明党が連立を離脱してから、慌てて野党に結集を呼びかけたように見えるからだ。自民党が少数与党になった時点で、立民は野党との緊密に連絡を取るべきではなかったのか──。
立民の野党共闘は“泥縄”との批判も
「立民内部でどんな動きが起きているのか、まだ明らかになっていない点が少なくありません。そのため軽々な評価は慎むべきでしょう。ただし、先ほど申し上げたとおり、国民と立民は“近親憎悪”の関係にあります。そのため、自民党が少数与党に転落した時点で、2党が水面下で協議を始めるのは難しかったかもしれません。そして公明党が連立離脱を発表し、慌てて立民が動いたかのように有権者が受け止めたのは理解できます。大きな政変に野田さんが対応できていない部分があるのかもしれません」(同・伊藤氏)



