5回もメジャー・デビューした歌心りえ、長い“下積み時代”経て30年越しにブレイク! 50代で全国ホールツアー開催までの「軌跡」と「奇跡」

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実姉と組んだLetit go、Ciao時代の思い出を語る

 そのLetit go時代で最も人気なのが、’95年の2ndシングル「200倍の夢」だ。本作は、真っ青な空と爽快なメロディーの組み合わせがインパクト抜群だった『ポカリスエット』のCMソングで、オリコン最高15位、累計約20万枚のヒットとなったので、青空に突き抜けるような彼女の歌声を覚えている人も多いかもしれない。

「このLetit goが最初のデビューです。それまで、18歳からオーディションを受けに受けては、落ちまくっていました(笑)。それでも、自分で楽曲を作っては、レコード会社に送るという日々を繰り返して頑張ってたんですね。そうしたら、ある事務所から連絡があり、デビューに至りました。私と姉、そしてもう1人の男性が選ばれて、そのままLetit goを組むことになったんです」

 90年代はCDが売れまくっていたので、さぞ多忙だったのではと尋ねると、

「いえいえ! 当時は歌える場所が本当に少なかったんです。テレビでは『COUNT DOWN TV』(TBS系)に出演して、あとは地方の音楽番組のレギュラーを持たせてもらい、ライブは『ポカリスエット』のイベントとして全国9か所で2曲ずつくらいパフォーマンスするくらいで、場数を踏むこともありませんでした。レギュラー番組には黒夢さんやL’Arc~en~Cielさんにゲストで来ていただくなど楽しかったのですが、東京で撮影をして、九州の何局かで放送していただけなので、知っている人はほとんどいないかもしれませんね」

 そして、同年にユニットを脱退し、’97年には姉と女性ボーカル・ユニットCiaoとして再デビューを果たしている。こちらはなんと、ファッショナブルなR&Bで、MISIAや宇多田ヒカルで大ブームが起きる前から最先端の音楽に挑んでいたとは驚かされる。ちなみに、Ciaoの楽曲には“歌心りえ”と併記されていないためか、’25年10月時点のCiaoの月間リスナーはたった1人だった。ブーム前の再デビューだったこともあり、当時もオリコンチャート圏外だが、歌心りえファンの方には垂涎ものかもしれない。

「よくぞ見つけてくださいました!(笑) Letit goでは、青空ピーカーン! という感じのものが中心だったのに対し、Ciaoではアンダーグラウンドな音楽をやっていて、当時はyellowというクラブにマンスリーで出してもらったり、雑誌でも“ブラック・ソウル”にかけて“ホワイト・ソウル”と紹介されたりしていました。

 一緒に活動していた姉は今、両親と地元の栃木に住んでいますが、もともとクラシックの声楽をやっていて、今もレッスンを受けるほど歌が好きなんです。それで、私が『トロット・ガールズ・オーディション』を経て『日韓歌王トップ10』に出演した際、姉にもある曲で共演してもらいました。それをきっかけに、今では地元のお祭りや老人会で歌うようになっていて、すっかり楽しんでいますよ」

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