無抵抗の被害者をアルミパイプでメッタ打ち、堤防から蹴り落とし…史上最凶の「少年3人」に死刑判決 「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人」の一部始終

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 いまなお日本の少年犯罪の歴史に暗い影を落とす「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」が起きたのは、1994年のこと。この年の9月28日から10月8日までの計11日間にかけ、3府県にまたがって計4名の若者がリンチによって殺害された。「大阪事件」では、寿司職人だった森高志さん(26=仮名=)が因縁を付けられて惨殺。「木曽川事件(愛知)」では、事件グループの仲間の一人だった山田克人さん(22=仮名=)が殺害され、「長良川事件(岐阜)」でも、ボウリング場で目が合っただけの川崎武夫(19=仮名=)さんと林田光輝(20=仮名=)さんが拉致され、メッタ打ちにされて殺されている。

 主犯格は当時、18~19歳だった3名の少年である。いずれも無抵抗の被害者に集団で長時間暴行を加え、その処置に窮し、犯行を隠蔽するために殺害を実行した。そのあまりに理不尽な「なぶり殺し」に世論は沸騰。凄惨なリンチの態様が明らかになるに連れ、「史上最凶のリンチ殺人」とまで呼ばれるようになったが、少年法の規定により、彼らの氏名や顔写真を公表することは認められなかった。

 殺人罪などで起訴されたのは、小林正人(19=当時=)、小森淳(19=同=)、河渕匡由(18=同=)の3名である。地裁では小林に死刑、小森、河渕には無期懲役の判決が出たものの、高裁では一転、3名全てに死刑判決が下され、2011年、最高裁で確定した。複数の少年に死刑判決が出たのは史上初めてのことであった。そしてこの死刑確定をもって、多くのメディアは彼らを実名報道に切り替えている。あまりに凄惨なリンチと身勝手極まりない犯行動機で、「少年法」の是非について大きな議論を巻き起こした事件であったのだ。

「週刊新潮」では3名全員に死刑が言い渡された2005年の高裁判決当時、遺族などを取材し、犯行の実態と、各被告の法廷での様子について詳報している。30年余りの歳月が過ぎ、事件の記憶は薄れる一方、今なお少年少女による残虐な事件は後を絶たない。当時の記事を再録し、「少年法」のあり方をもう一度問い直してみよう。

【前後編の前編】

(以下は「週刊新潮」2005年10月27日号記事の一部を編集し、再録したものです)

 ***

新婚間もなかった被害者

「私たちは裁判を一度も傍聴に行っていないんです。犯人に飛びかからずに、じっと傍聴席から見る自信がなかったからです……」

 大阪事件で殺された森高志(26=仮名=)さんの父(70)と母(68)は、言葉少なにいう。

 高志さんは、寿司職人。新婚間もなく、この狂犬のような連中に因縁をつけられ、無残な死を遂げた。

「高志は、姉が二人いますが、私たちにとって、たった一人の男の子でした。寿司屋に勤めて、そこで一緒に働いていた女性と入籍したばかりで、夜中、(二人で住む)アパートに帰る途中で連中にイチャモンをつけられたんです。遺体は四国の山中に捨てられ、私たちが対面した時は、顔は腫れ上がり、家族でさえ判別できないほど変形していました。あまりに変わり果てた姿で……。家に連れて帰ろうにも、お通夜やお葬式をすればその息子の姿が見られてしまう。それが哀れで、そのまま警察から火葬場に直行したんです。それなのに高志の写真は報じられても、犯人たちは写真はおろか、名前も報じられませんでした。高志が不憫でなりません」(母)

 のちに法廷で明らかにされた高志さんの殺され方は、無残というほかない。盛り場で言いがかりをつけてビルに連れ込み、よってたかって服を全て脱がせて両手首、足首を縛り、顔面にはガムテープを貼り、激しい集団暴行を加えたのだ。

 命乞いする高志さんをベルトで絞め上げ、苦悶の中、高志さんは絶命する。死亡を確認するために、犯人たちは煙草の火を高志さんの肌に押しつけている。その後、同じビルの1階にある中華料理店で平然と食事をし、四国・高知の山中まで運んで遺棄された高志さんの遺体は2ヵ月後に発見された時、僅か9.1キロしかなかったという。

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