「始めてスキーに行った」「今だにガラケーを使っている」に違和感を覚えるも…実は“間違いではない”漢字表記
校閲者に漢字表記を強制する権限はない
当連載第3回「もともと全く意味の異なる「歳」と「才」が、年齢を表すようになった理由」の中で「カッコいい漢字の書き分け」について言及しましたが、先ほど説明したような「編集的な観点」での漢字表記の選択というのはまさに「カッコよさ」「雰囲気」もしくは「見た目」という、感覚的な理由も大きいのではないか、と私は考えます。
校閲者としては(当然のことながら)原稿の表記を尊重し、明らかな間違いでなければ指摘しない、という姿勢を守るべきでしょう。一般的になじみが薄いと思われる難読表記には、ルビを振るよう提案するのも一理です。
ともかく、校閲者に漢字表記の間違いを“断定”する権限はありません。どうしても気になるときは、ゲラへの書き方を工夫したり、「辞書名を書く」「この媒体では慣習的にこの表記を使う」など、疑問を出した理由を提示する(もしくは、必要な場合に説明できる)ことが望ましいと言えます。
また、校閲者は過去に自らが出した校閲疑問を自分で「乗り越え」、時に否定してもいいのです。そうでないと、キャリアを積む意味がありません。最初から完璧な校閲者などいないのですから。
……全編に“渡って”エラソーな口調になってしまいましたが、なにとぞお許しください。



