売上高7800億円! アイリスオーヤマはなぜ中国製並みの安さで白物家電を売れるのか 急成長の秘密に迫る
東日本大震災の経験から
これまで書いてきたように、アイリスは生活の困りごとをアイデアで解決する「ホーム・ソリューション」で成長してきた。2011年の東日本大震災の時、健太郎氏はレジも動かなくなったグループのホームセンター「ダイシン」で、生活用品を売り続け、宮城県気仙沼市では1人当たり10リットルの灯油を無償提供した。復興支援のため地元・宮城の農業生産法人と組んで農業事業に参入。精米事業もスタートした。
東大阪が発祥の地で、1970年代から仙台に工場を構えるアイリスのトップである健太郎氏は、1978年の宮城県沖地震、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災をすべて「当事者」として経験している。
「だいたい15年おきですからね。いつ次が来てもおかしくない」
「国家の危機」を見据えて健太郎氏が打ち出した経営方針が「ジャパン・ソリューション」だ。自然災害、人手不足、高齢化など日本が抱えるさまざまな社会問題をアイデアで解決する会社になろう、という思いが込められている。
急激に売れ始めた「パックご飯」
健太郎氏の思いとは裏腹に、東日本大震災後に参入したコメ事業は苦戦が続き、10年近く赤字が続いた。規制や独特の商習慣に守られたコメ事業の壁は厚かった。
「コメは生鮮品」「この料理にはこのコメと、品種を使い分ける時代が来る」という健太郎氏のアイデアで、数百グラムの食べきりサイズのコメや、品種に合わせて炊き分ける炊飯器などを開発したが、大ヒットとはならなかった。
苦戦続きのコメ事業に突破口が見え始めたのはこの数年だ。コメを炊くのが面倒という家庭が増え、「簡単、便利、おいしい」をうたうアイリスの「パックごはん」が急激に売れ始めたのだ。
コメ事業に参入してから10年の経験を生かし、アイリスの「パックごはん」生産ラインはコメの保管、精米、梱包をすべて15度以下で行う「低温製法」を採用している。トレーやラベルは得意の内製化で価格を抑えた。
2014年、宮城県亘理町に80億円をかけて建設した巨大精米工場がフル稼働しており、2024年には「日本食ブーム」に乗って、米国や東南アジアへの輸出も開始した。「2026年中にも、老舗のパックごはんメーカーを抜いてトップシェアを獲得するかもしれない」と業界関係者はその急成長ぶりに驚く。
飲料水事業も軌道に乗り始めた。2023年、佐賀県鳥栖市に50億円を投資してパックごはん工場を建設したアイリスは、同じ敷地に70億円を投じて炭酸水の生産ラインを併設した。同年には静岡県裾野市のトヨタ紡織の工場を取得。300億円を投資して新たに井戸を掘り、飲料水と炭酸水の生産ラインを設けた。24年には緑茶飲料の生産ラインも増設している。
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