売上高7800億円! アイリスオーヤマはなぜ中国製並みの安さで白物家電を売れるのか 急成長の秘密に迫る
白物家電の全盛期を支えた日本人エンジニア
人気の秘密は「コスパ(コストパフォーマンス)」だ。ネットショップの「アイリスプラザ」をのぞくと、小型の冷蔵庫と洗濯機のセットは4万9800円。価格で中国勢と互角に渡り合っている。品質は折り紙つきである。何せ基本設計は三洋電機、シャープ、東芝などで白物家電の全盛期を支えた日本人エンジニアが担当しているからだ。
東日本大震災後、大手家電メーカーのリストラが相次いだ2013年、アイリスは大阪のど真ん中、心斎橋に大阪R&Dセンターを設立した。三洋、シャープ、パナソニックなど関西系家電大手の白物家電エンジニアの受け皿になるためだ。2018年には東芝、日立など関東の大手電機メーカー元技術者を雇うため、港区浜松町に東京アンテナオフィスを設立した。東芝の本社やシャープの東京オフィスがあった浜松町だが、今「浜松町の家電メーカー」といえばアイリスなのだ。
この頃、アイリス家電の礎を作った歴戦の強者たちはすでにほとんどが会社を去ったが、「世界を席巻した日本の家電のDNAは当社の若いエンジニアたちが引き継いだ」。アイリスの実質的な創業者、現会長の大山健太郎氏(80)はそう言う。
大山氏の父、森佑(もりすけ)氏は東大阪でプラスチック製品の下請け加工をする「大山ブロー工業所」を経営していた。健太郎氏は大学に進むつもりだったが、森佑氏が42歳の時にガンで亡くなり、19歳で社長になる。
「ユーザー・イン」の考え方
生来のアイデアマンである健太郎氏は、会社を引き継いだ2年後、真珠の養殖に使うアコヤ貝を海中につるすためのガラス製のブイが割れやすくて養殖事業者が困っていることを聞きつけ、プラスチック製のブイを考案する。
これが大当たりして会社は大きくなったが、英国のモデル「ツイッギー」が着用した「ミニスカート」の大ブームで、フォーマルな洋装の必需品だった真珠の需要が減って苦境に立たされる。この時の経験で健太郎氏は「どれだけヒットしても、一つの商品に依存するのは危険だ」ということを学んだ。
ブイの次に目をつけたのが田植え機にセットする「育苗箱」だ。従来は木製で腐る弱点があったため、プラスチック製の育苗箱を作って全国の農家に売り込んだ。これが売れたため、米どころ東北の宮城県大河原町に工場を建設する。父から継いだときに500万円だった会社の売上高は7億6000万円にまで拡大した。
健太郎氏のアイデアの源は顧客や消費者の立場に立って困りごとを解決する「ユーザー・イン」の考え方にある(反対は作り手が作りたいものを作るプロダクト・アウト)。1980年代、高度経済成長を経て、庭付き一戸建てに住む人が増え始めると、プラスチック製のプランターやラティス(格子状の柵)を売り出し、取引先のホームセンターと組んで全国に「ガーデニング・ブーム」を巻き起こした。
余裕の生まれた世帯がペットを飼い始めるとプラスチック製の犬小屋に始まり、猫のトイレ、猫砂、ペットシーツで「ペット・ブーム」を支えた。タンスを置くスペースがない団地ブームが到来すると半透明の衣装ケースを考案し「探す収納」で一世を風靡した。
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