子育て終了直後に妻から渡された「一枚の紙」ですべて終わった…それでも「謝罪」を求める61歳夫の往生際

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「おかあさんはおとうさんの悪口ばかり」

 彼は3人きょうだいの長男で、教育者である両親からかなり厳しく育てられた。そのため大人になってからは、あまり実家にも寄りつかなかったのだが、このときばかりは頼るしかなかったのだという。

「母は『あんたが私を頼るのは初めてだね。もっと頼ってくれていいのに』と言っていました。その時期、母と話す時間が増えてわかったんですが、僕は両親に愛されていなかったわけではないと思えた。心のどこかで、自分は愛されていなかったという思いがあったから、ようやく心が晴れた気がしました」

 同時に、子どもが「愛されていないのではないか」という思いを抱えるのは、せつないことだともしみじみ感じた。長女のことが不意に心配になった。

「次女が産まれたことにからめて、きみが産まれたときもこんなふうだったんだよ。僕もおかあさんも、みんなが喜んだんだよと伝えました。すると長女は『おとうさんは病院にも来なかったっておかあさんが言ってた』と。それは違う、行きたかったけど行けなかったんだ、言い訳に聞こえるかもしれないけど、当時、会社が大変で……と必死で言った。おかあさんの愛し方とは違うかもしれない。でも僕は僕できみを大事に思っていた。きみがやりたいことは何でもやらせたかったし、いろいろなものを見聞きしてほしいから旅行もしてきたと。すると長女は『確かにそうだね』って。『おかあさんはおとうさんの悪口ばかり私に言うんだよ。聞いているのがつらくなる』とも言っていました。おかあさんはいろいろ忙しいから、つい愚痴を言ってしまうだけなんだと思うよと軽く言っておきました。内心は、娘に対してどういう対応してるんだと腹が立ちましたけど……」

 長女と初めて心が触れあえた気がしたと勇太郎さんは言う。なぜか妻が長女と自分の間に立ちはだかっていて、直接、接触させてもらえなかったような気もした。

「その後は母と子どもたちと僕とで、穏やかに暮らしていました。妻は体調がすぐれず、なかなか退院できなかったんですが、2ヶ月ほどでようやく退院しました。家でも少しゆっくりしてもらおうと思い、その後も母にいてもらいました。ただ、戻ってきた茉莉は、自分がいない間に家庭の雰囲気が変わっていることに気づいたんでしょう、どこか不安定で不機嫌でした。長女が必死になって茉莉の気持ちを盛り上げようとしているのが痛々しかった」

 それでもなんとか茉莉さんの体調は回復、家族4人の生活が始まった。次女はすくすくと元気に育ち、やがて小学校、中学校と進学していった。

「長女は大学に進学、卒業して第一志望の企業に入りました。就職と同時にひとり暮らしを始めたので、それからはまた3人暮らしとなりました」

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