子育て終了直後に妻から渡された「一枚の紙」ですべて終わった…それでも「謝罪」を求める61歳夫の往生際

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 【前後編の後編/前編を読む】「定年おつかれさま」直後に「離婚して」 妻の爆発も当然…61歳夫がやらかしてきた“自業自得”の歴史

 藤尾勇太郎さん(61歳・仮名=以下同)は、定年を迎えたその夜に妻の茉莉さんから離婚を切り出された。「誰のおかげで暮らせているんだ」と怒りを抱いたというものの、話を聞けば、これまでの「積み重ね」が妻に離婚を決意させた構図が見えてくる。仕事を理由に妻の出産に立ち会わない、酔って“襲う”ように重ねる夫婦生活、そして複数にわたる不倫……。離婚の4組に1組が熟年夫婦という現代、勇太郎さんのようなケースは少なくないのかもしれない。

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 勇太郎さん夫妻が40代に入ってから、妻の茉莉さんの妊娠がわかった。まさかとふたりとも思ったらしい。

「めったにセックスしていませんでしたからね。だけど酔って久々にした日を思い出したら、妊娠の可能性はなくはなかった。ただ、病院に行った妻から『子宮癌になりかけているから、子どもはあきらめたほうがいいかもしれないと診断された』と聞かされました。それなら子宮癌の治療のほうが先だろうと思ったけど、妻は『産むわ』と。あれほど子どもはもういいと言っていたのに……。『命が宿ってしまったのだから、葬り去るわけにはいかないでしょ』と頑なでした。それはわかるけど、僕としては実際に目の前に赤ちゃんがいるわけではないので、実体のある妻の命を優先させるのが当たり前だと思っていた」

 その後、妻は医師と相談を重ね、やはり産むと決めた。勇太郎さんもあわてて医師と話したが、「奥さんの意志があまりにも強いので、とりあえず妊娠継続、経過観察ということにしましょう」と言われた。

「男はこういうときなす術がないとよくわかりました。産むのは妻ですから、妻の意志が最優先なんですよね」

 妻は身勝手だとそのとき思ってしまったと、彼は本音を洩らした。娘や自分のことを考えれば、あきらめてくれてもいいのに、と。だが、そんなふうに思った自分のことも恥じた。命の重さを改めて考えるようなできごとだった。

母の助けも受け入れて

「結論からいえば、妻は帝王切開で無事に出産しました。長女は12歳になっていたから、突然できた妹がかわいくてたまらなかったみたい。妻は産後すぐ、子宮癌の治療を始めましたが、幸い、タチの悪いものではなかったので、なんとか治療も間に合った」

 妻の入院、治療が長引いたため、子育てがままならない。急遽、勇太郎さんは母親に来てもらうことにした。妻は「大丈夫、私が家のことはやるから。すぐにでも退院する」と言ったが、「茉莉の身体のほうが大事だから」と説得した。

「僕自身、家庭を持ったのに親に頼るのはよしとしていなかったから、長女のときは助けを求めなかった。それでもときどき母が来て手伝ってくれたようでしたが、妻も『私ひとりでなんとかなる』と言っていました。でもさすがに妻が入院し、新生児だけ退院したとなると、僕と長女とではどうにもならない。母は当時、60代後半にさしかかっていましたが、すぐに来て家庭を切り盛りしてくれました」

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