国語教師をあきらめた教育実習での出来事とは? 「中島みゆき」デビュー50周年で振り返る“歌姫の秘話”

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 1970年代から、80年、90年、2000年の4世代に渡り、オリコンのシングルチャートで1位を獲得したアーティストが1人だけいる。それが中島みゆきだ(※1)。そんな卓抜したキャリアを誇る彼女にとって、今年はデビューから50周年の記念イヤー。12月には、シングルMV集や、ベスト・アルバムのリマスター盤の発売が予定されている。

 とはいえ、本来のデビューは1975年9月25日(シングル「アザミ嬢のララバイ」でレコード・デビュー)。メモリアルとなるこの9月に、その更なる魅力を知れる、“歌姫”、中島みゆきの秘話をお送りしたい。(文中敬称略)

紅白で歌詞が飛んだわけ。

 中島みゆきと言えば、熱烈なファンでなくとも、2002年12月31日のNHK紅白歌合戦で「地上の星」を歌った姿をご記憶の方が多いだろう。その歌唱時に、瞬間最高視聴率52.8%を叩き出したことも含め(※23時01分に記録)、翌2003年はちょっとした「地上の星」ブームになった。

 1月13日付のオリコン・シングル・ランキングで10位に躍り出ると、翌週の1月20日付ランキングでは1位に。同曲がシングルとして発売されたのは2000年7月19日(※初登場時のランクは15位)ということを考えれば、それから実に130週をかけての1位獲得であり、オリコン史上最長の記録として話題となった。何しろそれまでの記録は都はるみの「北の宿から」の44週で、その差は歴然としている。さらに3月19日には、累計売上枚数100万枚も突破した。

 もっとも、前年から再流行の兆しはあった。中島の紅白歌合戦出場が決まり、黒部ダム内のトンネルを舞台に「地上の星」を歌うことが噂されると、同ダムのある富山県中新川郡立山町議会では02年12月、以下の提案がなされたという。

「中島さんに、立山名物の餅を食べてもらい、町のアピールに繋げられないか?」(※「寒餅(かんもち)」という餅が名物の一つ)。

 いざ、紅白歌合戦が終わると、ダムを建設した関西電力の後藤洋二副社長(当時)が、感慨深げにこんなコメントを出した。

「今は電力の自由化による競争で、設備投資も削減の方向に進んでいるんです。そんな中、電力の安定供給のために戦った電力マンたちがいたのだということを、少しでも思い出して頂ければ……」(2003年1月16日。記者会見)

 ところがである。当時、ネットでは、心無い勘繰りもあった。この紅白での出演が、「生放送ではなく、録画だったのでは」というのである。それを唱えた人たちの論拠は、おおまかに言って3つだった。

「スタジオとのやり取りが一切なかった」

「トンネルの中では残響があり、あのように上手くは聴こえないはず」

 そして、

「中島が歌詞を間違えると、出ていた(歌詞)テロップも消されたが、これは生っぽく見せるための演出だったのでは?」

 確かに中島は2番の歌詞を間違え、その瞬間、テロップも消えた。しかし、ライブやラジオや雑誌などで中島の言動に馴れている方は、それほど驚くには当たらないだろう。

 本人の口癖でもあるが、中島は、“歌詞忘れの常習犯”なのである。

 1993年の大阪のライブでは、ニューシングル「ジェラシー・ジェラシー」の1番の歌詞がサビまで出てこなかった。特別出演したドラマ「親愛なる者へ」では、出番終了後、花束を渡され、自身の歌った主題歌「浅い眠り」を皆で大合唱しての労いとなったが、中島自身が歌詞を一部忘れていたという逸話がある。人の名前については定番のようで、気を利かせたマネージャーが、「この人はA社のBさん……」と改めて紹介するのだが、そのマネージャー自身の名前が出てこなくなることがあるというから分け隔てない。

 さて、紅白で歌詞を間違えた理由である。実は当日、心配したスタッフが大きな紙に歌詞を書き、現場にスタンバッていたという。用意は万全だったのだ。ところが撮影のため、ライティングがなされると思いも寄らぬ事態が。本人の弁である。

〈ライトがまぶしくて(紙が)見えないと現場でわかった瞬間、歌詞がどこかにいっちゃった(笑)〉(「日経エンタテイメント」2003年12月号)

 なお、トンネルの残響については、NHKのスタッフが岩盤の質が違い、音が反響しない場所をあらかじめピックアップしていた。前日30日には現地入りした中島だが、当日夜のトンネル内の温度は氷点下2℃。歌い終わると寒さと疲労で宿舎に戻れず、同地(黒部ダム第4発電所)の応接室で年を越したという。歌った場所は普段、トロッコの資材置き場だったのだが、現在は通称「みゆき広場」として、職員に親しまれている。

 黒部ダム第4発電所は、現在では見学ツアーも組まれており、中島が実際に歌唱した場所の近くまで行けるという。往時の黒部ダム建設の過酷さを含め、雰囲気を味わうのも良いだろう。

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