国語教師をあきらめた教育実習での出来事とは? 「中島みゆき」デビュー50周年で振り返る“歌姫の秘話”

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国語の教育実習生だった!

 2009年には、国から紫綬褒章も授与されている中島。本人にとっては意想外の栄誉だったらしく「棚から本マグロ」ほどの驚きと表現したが、そのシンガーとしての魅力と言えば、なんと言っても紡ぎ出す歌詞であろう。本人も、「音はあくまで、詞の後ろにあるもの」と語り、1999年には文部科学省から、国語審議会の委員に任命されている。今では中島の歌は、音楽の教科書に載ることも多いのだが、初めて載った作品は1990年、三省堂の教科書「国語1』に、朝日新聞に載った「エデンの乳房」なる詩だった。

 実は中島は、国語の教員免許を持っており、教育実習も経験している。ファンからすればその時の生徒たちが羨ましい限りだし、ぜひ授業を受けてみたいものだが、中島が国語の教師になるのを諦めたのは、この教育実習時の経験が元だったという。

〈ある解釈問題で生徒が正解に異議を唱えた。私も同感だったがそれではいい点をとれない。やっぱり先生にはなれないなあと〉(「朝日新聞」2005年12月2日付夕刊)

 言葉を一つのアンサーに閉じ込めることに、危険を感じたのである。

 そんな中島だけに、自分の曲について解説はしない。受け手の自由な気持ちを尊重したいからだ。だが珍しく、自身でその由来を明かした曲もある。亡き父への哀惜の念を歌った「まつりばやし」(1977年)で、産婦人科医だった父に幼少時に言われた言葉も、今の彼女を形づくっているという。

「いったん口にしたら元には戻らない。言葉で人を斬ったらつける薬はない」

〈小学3年生くらいだったかな、(中略)父に、こう強くしかられたんですよ。言葉ってすごい力を持っていていろんな事をしでかすんだな、だから大事に使わなくちゃいけないんだなと、幼心に思ったことは忘れられない〉(「読売新聞」1996年5月15日付夕刊)
 
 2022年5月15日、ラジオ番組で中島の楽曲「ホームにて」が流れた。パーソナリティの有吉弘行が、こう曲紹介した。

「今日くらいは、上島さんがよく歌ってた、好きな曲ですかね……」(JFN系「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」)

 この4日前、先輩として有吉の面倒をよくみていた上島竜平が自死していた。上島は深夜まで及ぶ飲み会でカラオケになると、この曲を歌っては号泣していたという。故郷に帰りたいが、でも帰らない、そんな人々の心情を歌った曲である。どちらが正解とも言わない。言い換えれば、迷いながらも頑張っている心情を、中島が優しく歌い上げる。シングルのB面として出されながら、今では多数の歌手がカバーしている同曲に、兵庫から俳優を目指して上京、紆余曲折を経て芸人になった上島も、自身を重ね合わせたのではないか。

 最後に、中島が件の「オールナイトニッポン」最終回で残した言葉を置いておきたい。

「幸せという字は、辛いという字の、上についているチョッピリの点を、十という字に変えると幸せになるんです。十分辛くて、はじめて人は幸せになるんです。くじけないで、頑張って下さい」

 あまたの言葉が跋扈するSNS時代。言葉の大切さを思い、そしてその力を信じる中島みゆきを、今後とも応援していきたい。

※1:70年代に「わかれうた」、80年代に「悪女」、90年代に「空と君のあいだに」、「旅人のうた」、00年代に「地上の星」で、それぞれ1位を獲得している。また、80年代から2010年代の4世代では、サザンオールスターズが1位を記録している。

瑞 佐富郎
愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。当HPでの執筆等、プロレス&格闘技ライターとしての活動が中心で、著者も多数上梓しているが、ライブハウス通いを好み、音楽にも造詣が深く、携わった書籍に『All You Need Is THE BEATLES』(宝島社)などがある。中島みゆきの楽曲で特に好きなのは『100人目の恋人』『傾斜』『シュガー』など。

デイリー新潮編集部

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