国語教師をあきらめた教育実習での出来事とは? 「中島みゆき」デビュー50周年で振り返る“歌姫の秘話”

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

NHKで放送禁止の曲があった!?

「喋った時点で全く別人の、中島みゆきでーす!」(2010年11月26日。東京国際フォーラム)。

 中島とユーモアと言えば、このコンサート時のMCのように、その遊び心たっぷりのトークも大きな魅力。同郷の脚本家かつ、互いに信頼を置いている倉本聰と、対談で初遭遇した時の反応は振るっていた。倉本の述懐である。

〈初対面の彼女はくわあっと笑い、話し相手に私を選ぶなンて倉本さんてメンクイなンですねと云った〉(『愛が好きです』中島みゆき著 新潮社刊より)

 さて、中島の喋りの王道コンテンツと言えば、ニッポン放送「中島みゆきのオールナイトニッポン」(1979~1987年)だろう。例えば1986年2月24日深夜、小泉今日子をゲストに迎えた時は、こんな具合だった。

「顔、小さいわね~。指2本で洗えそう。化粧品、減らなくて羨ましいわ。3人きょうだいの末っ子?(着るのが)お下がりばっかりで大変だったでしょう? ユーミンもそうでね(※5人兄弟の第4子で次女)。いつか自分で新しい服を着るんだって固く誓ってたんだって。その反動でステージ衣装があんなにギンギンなの」

 1987年3月30日の同番組最終回は、伝説化している。ニッポン放送前に1000人を超えるリスナーが集結。「今日でDJを、中退します」との名言を残した中島を見送った。しかし、こんな名士をラジオ局が放っておくわけがなく、2年後の1989年4月からはNHK-FMの「ジョイフルポップ」で復帰した。

 ところが、開始1ヵ月前に発売された中島のシングル「あした」が、同番組では一度もかからなかったのである。筆者は当時、非常に不思議に思っていたのだが、後年、親しくなった同局の関係者が、その理由を教えてくれた。

「その曲、CMで起用されてたからね。さすがにNHKではかけられないですよ」(※KDD「001」のCMソング)

 なお、本人も完全な夜型人間であり、オールナイトニッポンでもそのイメージが助長された中島だが、2003年には初の朝のレギュラー・ラジオ番組「ほのぼのしちゃうのよね」(ニッポン放送)を担当。リスナーからのハガキやメールで構成される番組だったが、その中には「オールナイトニッポン」時代の常連の名も。時を経て、ファンも健康的な生活にするプログラムだった。

次ページ:国語の教育実習生だった!

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。