まるで別人…“突然速くなった”女性スプリンターの疑惑 「目をそらすために派手なファッションを」(小林信也)

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疑惑隠しネイル?

 85年から87年までの約2年の間に一体どんな変化があったのか? なぜ突出したスプリンターに変身できたのか。ジョイナーがその詳細を正面から語る機会はあまりなかった。同じ時代に活躍した女子選手はこう証言している。

「ジョイナーは太りがちな選手だったけれど、87年に復帰した時はスリムになって体が全然変わっていた」

 全身がたくましい筋肉に覆われ、無駄な脂肪などはほとんどないように見えた。どんな肉体改造が行われたのか。それを聞きたくて、来日したジョイナーのレースを国立競技場に取材に行った経験がある。ソウル五輪直後の「スーパー陸上」だったと思う。

 レース後の記者会見は、国内の陸上大会では珍しいほど華やかな雰囲気に包まれ、報道陣の数も驚くほど多かった。半分くらいは日頃陸上の取材と縁のないワイドショーのレポーターではなかっただろうか。

 多くの陸上記者たちは当然、「なぜ急にそれほど速くなったのか」を知りたがった。しかし、それを聞いても彼女は、

「コーチであり夫であるアル・ジョイナーのおかげ」

 と、隣に座る夫を持ち上げ、笑顔で煙に巻くばかりだった。そしてすぐ質問は“ネイルアート”と“斬新なファッション”に集中した。競技者としては長過ぎる爪に派手な色彩のカラーリングを施した彼女は、まだネイルアートが一般的になる前の日本のファッション界にも衝撃をもたらした。片脚だけ長いスパッツやフードのついた全身タイツなど独特のコスチュームで登場する彼女は、レースのたびに華やかな話題を提供した。

「速さの秘密は?」と聞きたい私たちより、「今日のネイルは?」と聞くファッション・レポーターが記者会見の流れを奪い取った記憶がある。後に、「あのファッションはドーピング疑惑から目をそらすための戦略ではなかったのか」とささやかれた。もしそうだとすれば、その作戦は見事に的中していた。

38歳の若さで死去

 59年12月に生まれたジョイナーは、電撃的に復帰した時、すでに27歳だった。当時としてはもう若くない年齢で〈それなり〉から〈超一流〉に変身するアスリートはそう多くはなかった。それでもジョイナーは劇的な肉体改造を実現し、40年近くたったいまも破られない驚異的な記録を残した。彼女に最も迫ったのはエレーン・トンプソン・ヘラー(ジャマイカ)の10秒54(2021年)。他に10秒60を切った選手は現在まで一人もいない。

 ジョイナーは女王として〈絶頂〉にあった89年、突如として引退。年々進化する薬物検査を避けるためともうわさされたが、真偽は不明。そしてソウル五輪から10年後の98年9月、重度のてんかん発作による窒息のため、自宅で亡くなった。38歳の若さだった。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年9月18日号掲載

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