認知症と告げられても「お前を食べさせる」と妻に訴え… 橋幸夫さんが“僕はボケない”と実践していた予防法と、母親の凄絶介護体験

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 昭和歌謡を代表する歌手の橋幸夫さん(本名・橋幸男)が亡くなった。享年82。認知症発症を公表してから3カ月余りでの急逝に、ファンの間に衝撃が走っている。実は生前、橋さんは自身の凄絶な介護体験から、「ボケない」よう細心の注意を払っていたという。

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「橋さんが息を引き取る約2時間前、真由美夫人から私の携帯に連絡がありました。“血圧が50ミリHgを切った。どうしたらいいの? 来て!”と切迫した様子だったので、急いで入院先に向かいました。橋さんが肺炎により亡くなったのは9月4日の23時48分。私が病室に到着したのは5日の0時過ぎでした。わずかな遅れによって、死に目に会うことはかないませんでした」

 こう沈鬱(ちんうつ)な声音で語るのは、所属する「夢グループ」の石田重廣(しげひろ)社長(67)だ。

 今年5月、認知症であることを公表した橋さんは、同月末に一過性脳虚血発作のため緊急搬送された。退院後、一度はステージに復帰したものの、6月13日に再入院した。

「真由美さんは入院後、付きっきりで看病していました。意識はなく、大きなイビキをかいて寝たきりの橋さんの体をこまめに拭き、筋肉の硬直を防ぐため足をマッサージするなど、24時間、ほぼ片時も離れず世話をしていました。彼女は最後まで奇跡を信じ続けていたのです。(同)

認知症と告げられても「お前を食べさせなきゃならない」と

 橋さんのデビューは1960年。「潮来笠」や「霧氷」、女優・吉永小百合(80)とのデュエット曲「いつでも夢を」など数々のヒット曲を飛ばし、舟木一夫(80)、故・西郷輝彦(享年75)と共に「御三家」と呼ばれた。

「アイドル並みの人気を誇り、NHK紅白歌合戦には通算19回出場、俳優として映画やテレビなどでも活躍しました。プライベートでは2017年に47年間連れ添った前妻と離婚し、翌年に18歳年下で元看護師の真由美夫人と再婚して話題になりました」(スポーツ紙デスク)

 認知症と告げられた際、「お前を食べさせなきゃならない」と夫人に訴え、病院に行くことを渋ったほど相思相愛の関係だった。

 23年に一度、歌手活動に終止符を打つが、「やっぱり声がかれるまで歌い続けたい」と、昨年に活動を再開したばかりだった。

 石田社長が続ける。

「橋さんとは10年以上の付き合いになりますが、うちに所属したのは21年ごろです。当時、彼から“俺は引退して大学に行くことが夢なんだ。社長、最後のコンサートを(夢グループで)やってくれないか”と相談されたのです。約束の引退コンサートを開いたのは23年5月。この時、(前妻との間に生まれた)息子さんも来てくれました。橋さんが“俺から言える立場じゃない”と逡巡したので、私が代わりに電話をして招待したのです」

 最前列の席に座った息子に向け、ステージ上から「ありがとうな」と繰り返し呼びかけていた姿が印象的だったという。

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