認知症と告げられても「お前を食べさせる」と妻に訴え… 橋幸夫さんが“僕はボケない”と実践していた予防法と、母親の凄絶介護体験
歌唱中に歌詞を忘れることが頻発
橋さんに物忘れが目立ち始めたのは約5年前。22年に病院を訪れたところ、軽度のアルツハイマー型認知症と診断された。23年11月には右頭頂葉脳梗塞を併発し、1週間入院したこともある。
「歌唱中に歌詞を忘れることが頻発し、昨年12月の受診時に中等度のアルツハイマー型認知症と診断されました。その後も病状は進行し、6月の入院へと至ります」(前出のデスク)
40年以上にわたる臨床経験を持つ、認知症専門医で「メモリークリニックお茶の水」院長の朝田隆氏が言う。
「右頭頂葉脳梗塞とは血管性脳卒中の一種で、認知症の合併症としてしばしば現れます。一過性脳虚血発作についても同様で、認知症が進行することで起こる典型的な症状の一つ。認知症を発症後、誤嚥性も含む肺炎で亡くなるケースは非常に多いのが現実です」
「僕は絶対にボケない」
親交のあった芸能ジャーナリストの山岸信美氏は、“橋幸男”と認知症の浅からぬ因縁についてこう明かす。
「橋さんの母親は90年に88歳で他界しますが、84年ごろから認知症を発症していました。亡くなる直前まで、橋さんと前妻が約5年間にわたって在宅介護を続けたそうです。最初は“まだらボケ”だった症状も徐々に深刻化し、息子を暴漢と間違えるなど、幻覚や妄想にとらわれるようになったといいます」
排泄もトイレでなく、家中でするようになり、時にウンチを自宅の壁や廊下などに塗りたくることもあった。
昼夜を問わない徘徊が始まった89年、ついに橋さんは母親を認知症の専門施設に入所させることを決意する。
「そんな体験を経たからでしょう。20年近く前にインタビューした時、“僕は絶対にボケない自負がある”と明言していました。実際、当時から食事には非常に気を使い、菜食主義を取り入れていた。野菜のほか、豆腐や魚、さらに納豆を毎日食べていると話していました」(同)
それだけでなく、60歳を過ぎてからはストレッチやルームランナーを使った運動なども欠かさなかったという。
「橋さんは中学2年の時に作曲家・遠藤実さん(故人)に師事し、デビューの機会をつかみますが、遠藤さんの下で歌を習うよう勧めたのは母親です。それもあって、お母さんのことはすごく尊敬していました。そんな最愛の母の面影を奪った認知症に、まさか橋さんも見舞われるなんて……。運命の皮肉に言葉を失う思いです」(同)
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