世間のノリと感覚で“加害者”が裁かれる ディストピアすぎる「SNS時代」を古市憲寿が考察

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「見て下さい。こんなお店にも監視カメラが設置されているんです」

 韓国の大衆的なふぐ屋で食事をしている時、友人が天井を指差した。確かにそこには360度が撮影可能な防犯カメラがあった。

「ソウルでは監視カメラが当たり前だから 、 場所取りの時にスマホとか大事なものを置いていくってのも珍しくないんです。盗られても犯人は捕まるから」

 エンタメ業界で働く別の知人も会話に加わる。

「確かにテレビ局の楽屋に鍵がなかったんです。それも監視カメラがあるから安心だって発想なのかもしれないですね」

「そうそう。逆にトイレでの犯罪には気を付けて下さいね。カメラが設置できない場所なので、何が起こるか分からない」

 実際には韓国でも盗難事件は発生しているし、犯罪発生件数は国際的に低い水準だが、それでも日本の方が治安はいいとされる。だがこの「監視カメラがあるから安心」「鍵をかけなくてもいい」という感覚は面白いと思った。

 われわれが鍵をかけるのは窃盗者に備えるため。では窃盗が必ず捕まる世界になったとしたら、果たして鍵は必要なのか。少なくとも防犯という意味では鍵の意味は激減するだろう。

 同様に、何もかもが完璧に監視される社会が誕生したら、ほとんどの犯罪はなくなるはずだ。現状はソウルでさえ防犯カメラの死角は多数存在する。ネット上の全てのやり取りが検閲されているわけでもない(国家保安法はあるが秘匿性の高い通信手段はある)。

 プライバシーが全く存在しない世界に、現代人の多くは拒否感を抱くはずだ。だがその感覚さえも過渡的なものなのかもしれない。

 誰もが加害者とされ得る時代だ。漫画家の倉田真由美さんが騒動に巻き込まれた。ある男性が、新年会で酔った倉田さんからセクハラを受けたと訴えたのだ。倉田さん本人はもちろん、同席していた医師もこの件を否定。さらに普段から倉田さんと交流のある人も彼女を擁護。しかも2023年の2年半前の出来事。男性側は自分の記憶を語るばかりで客観的な証拠はない。

 だが、ただの証言が騒動になってしまう昨今。刑事事件にはなりようがないだろうが、監視カメラの映像があるわけでもない。倉田さんが潔白ということを客観的に証明するのも難しい。しかも法律ではなく、感情による私刑が流行するのが当世流。まるで古代や中世に戻ったようで恐ろしいのだが、世間のノリと感覚で「加害者」とされた人物が裁かれてしまう。

 監視社会はその解決手段になり得る。あらゆる場所に監視カメラが設置される。個人も自己防衛のために動画や音声を記録し続けることが当たり前になる。全てに白黒はっきりつけようというわけだ。その社会では「監視カメラがなくて怖い」という感覚が一般化するだろう。ディストピアだろうか。だが曖昧な証言と瞬間的な世論で人が裁かれる社会の方が、よっぽどディストピアに思える。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年9月18日号掲載

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