「“警視庁人”の心意気」が宿る「ポリスミュージアム」一時閉館へ…「殉職警察官」の壮絶な最期を物語る展示も
惨劇の一部始終
「警視庁から各局、重要事件発生の模様」
1989年5月16日午前3時すぎ。警視庁第2自動車警ら隊(2自ら)に勤務していた黒木昭雄氏(のちジャーナリスト)は、中野区にある同隊野方分駐所で、警視庁通信指令本部から流れてきた無線の声に耳をそばだてた。やがて、「ピーピーピー」というセレコールのあとに、本指令が飛び込む。
「警視庁から各局、練馬警察署管内中村橋PB(注・ピービー=ポリスボックス、交番の略)拳銃発射音。詳細入電中。近い局は現場方向へ」
PBで拳銃発射音――反射的にパトカーに飛び乗っていた。現場は西武池袋線中村橋駅のすぐ近く。野方分駐所の担当方面ではないが、相勤員がかつて担当していた区域であり、道を知っていた。
〈「撃ち合いになるかもわからないからな」
サイレンを鳴らし疾走するPC(注・パトカーのこと)の中で、拳銃を取り出し、安全ゴムを外して実弾を確認した。一〇分程度で中村橋PBについたが、あたりは静まり返り人影もない。
「けいし410(注・パトカーの呼び出し符号)から警視庁、中村橋PBまもなく現着」
と報告した時、交番の傍らにワイシャツ姿のPM(ピーエム=警察官)が呆然と立っているのが目に入った。
「おかしいぞ。何か様子が変だ、黒木、気をつけろ」
「わかってる」
と、二人とも同時にPCから飛び出した〉(黒木昭雄著『警官は狙いを定め、引き金を弾いた』草輝出版より)
派出所に入った黒木氏の目に飛び込んできたのは、小林巡査部長の姿だった。
〈「長さん(巡査部長の略)やられてる、PMが血だらけだ」
私は叫んだ。
「いったいどうしたんだ、何があった」
立っているPMは何も答えない。
「至急至急、けいし410から警視庁。中村橋PB内にPMが一名血だらけで倒れている、至急救急車の派遣を願いたい」
「警視庁了解。警視庁からけいし410以後現場報告車両に指定する。PMの生命の別、さらには拳銃の確認を最優先調査報告せよ。なお併せて現場保存の徹底を願いたい。以上警視庁」〉(同)
この通話の最中に、相勤員の「交番の裏側にも、もう一人、倒れている」という叫び声が聞こえた。山崎巡査である。
〈裏に倒れていたのはまだ若い巡査だった。頭を交番の壁に向け、左半身を下にしている。脈は微かにあるものの、息も絶え絶えで呼びかけには応じない。目は閉じたまま。拳銃使用の痕跡はない。(略)PBの電話の受話器は外れていて、机の下にぶら下がっている。椅子は後方に飛び、PMは倒れていた。(略)一一〇番しようとしたのだろうか、受話器に血痕が付着している。ワイシャツには白い部分がどこにもない。赤というよりむしろ黒だった。右腰の拳銃はホルダーに納められていて、留め金は外れている。(略)ゆっくりと腕を取り脈をはかった。かなり弱い。ほとんど息はない〉(同)
練馬署員も駆け付け、野次馬や報道陣も現場に押しかけ、騒然となる中、黒木氏はそのまま周辺警戒や検索に当たった。午前6時。警視庁からの一斉指令が流れた。
「警視庁から各局、練馬警察署管内発生の警察官殺人事件に対する捜査について」
黒木氏はここで初めて、2人の警察官の殉職を知ったという。
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