「もしもし、手塚治虫です──」やなせたかしが“イタ電”と勘違いした一本の電話がキャラクター創造の原点に
【全2回(前編/後編)の前編】
前回記事【手塚治虫だけじゃない「やなせたかし」に惚れた天才たち 女優にも“口説かれ”メロメロになった過去も】で紹介したように、NHKの朝ドラ「あんぱん」の主人公のモデル・やなせたかしは、永六輔や宮城まり子、いずみ・たくなど、まだ無名だった頃からさまざまな天才たちに仕事を持ちかけられている。
速報【初激白】松岡昌宏が語った、国分太一への思いと日テレへの疑問 「日本テレビさんのやり方はコンプライアンス違反ではないのか」
「売りこみもしないのに突然やったこともない仕事を依頼されて面喰う」(『アンパンマンの遺書』)と後年やなせ自身が振り返ったように、不思議と大きな仕事が次々舞い込んでくるのだそうだ。
なかでも有名なのが、手塚治虫の長編アニメ『千夜一夜物語』のキャラクターデザインで、そのエピソードは近くドラマでも取り上げられるという。やなせのキャリアにとって大きなステップアップとなった仕事だが、実際に何があったのか、やなせの生涯を追った柳瀬博一『アンパンマンと日本人』(新潮新書)から抜粋して紹介しよう。
***
手塚治虫と「千夜一夜物語」
「もしもし、やなせさん、手塚治虫です」(『アンパンマンの遺書』岩波書店 1995年)
長編アニメーション映画「千夜一夜物語」のキャラクターデザインと美術監督をやることになったのも、手塚からかかってきた一本の電話がきっかけでした。1960年代後半のある日のことです。
最初は、手塚治虫のイタズラだと思ったそうです。同じ「漫画集団」に属していたので面識はありました。が、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」など数々のヒット作を世に出し、自身の虫プロダクションでテレビアニメ作品も制作していた手塚は、おなじ漫画家ではあるものの、住む世界が違う人間、と思っていました。
ところが、イタズラでも冗談でもなかったのです。
後日、虫プロのプロデューサーから電話がかかってきました。
「新作映画のキャラクターデザインの件で、虫プロに出社してください」
「え、冗談じゃなかったの?」
すでにさまざまなジャンルの仕事を請け負ってきたやなせたかしですが、本格的なアニメーション制作にかかわるのはこれが初めてでした。しかも手塚治虫が巨額の資金を投じて、世界市場を相手につくる大人向けのアニメーション映画。虫プロのスタッフ250人中180人がかかわり、それでも足りずに外部のアニメスタジオに発注して、合計800人が制作に参加した大作です。
一方、やなせたかしのアニメの知識はゼロ。映画制作知識もゼロ。監督を務めた山本暎一に「ではイメージボードでも描いていただけますか」「はあ? イメージボードって何ですか」と言って呆れられる始末。シナリオを読み込んで、絵コンテを何枚も描いてボードに貼り付けていく。映画作りの現場に通い詰めました。
映画「千夜一夜物語」を実際に観てみましょう。現在はAmazonプライムなどで視聴が可能です。
主人公のアルディンが砂漠の中をカメラに向かって歩いてくる。「千夜一夜物語」のタイトル。続いて「総指揮 手塚治虫」、さらに「制作、構成脚本、原画、背景、技術の面々」そして「美術 やなせたかし 音楽 冨田勲」と出てきます。
映画のスタッフとして非常に大きな扱いだったことがタイトルロールを見るだけでも察せられます。
映画を観ればわかりますが、主人公のアルディン、奴隷市場で売られていた美女ミリアムをはじめ、登場人物が見事に「やなせたかしの絵」です。背景の多くもやなせタッチが生かされている。セクシーなシーンあり、残虐なシーンあり。現代のアンパンマンのイメージとはかけ離れていますが、当時のやなせたかしは子供向け幼児向けの絵をほとんど描いていません。むしろ色っぽい大人の抒情画を雑誌などに描いていました。そんな彼の造形力が遺憾無く発揮されています。
「ぼくはセクシーな描写がないので有名な(?)漫画家である」(同)と謙遜するやなせですが、漫画雑誌『週刊漫画TIMES』の表紙を1年間担当していたときの絵を見ると、オードリー・ヘップバーンをモチーフにした実に洒脱で色気のある画風を確立していたことがわかります。大きな瞳に無表情な口元。やなせたかしの美女たちはしばしばミステリアスです。
「千夜一夜物語」の制作に参加したことで、やなせ自身は自分のとんでもない才能に気づきます。その才能は、のちにアンパンマンの大ヒットに際して大きく開花します。
キャラクターを描き分ける才能です。
キャラクター創造術の原点
主人公のアルディンはフランスの大人気スター、ジャン=ポール・ベルモンドをモチーフに、声をあてる青島幸男のイメージを混ぜました。ミリアムはこれまで描いてきた女性のキャラクターをよりアジアっぽくアレンジします。主人公の敵役になる大臣は、やなせたかしの好きな英国俳優デヴィッド・ニーヴンをモデルにしました。
さらに映画の中でメインキャラクターの役割と性格がはっきりするように、それぞれのテーマカラーを決めました。
「アルディンを太陽の子としてオレンジ系でまとめ、陰謀家の大臣をインディゴブルー系にした。顔の色までブルーである。山賊の頭目をブラックにして、片眼にざっくり傷あとをつけた。その娘のマーディアは火のような性質だから、スカーレット系の赤で統一した」(同)
アニメーション映画におけるキャラクターは、実写映画における俳優のキャスティングです。つまり、作品の最も重要な要素、登場人物が魅力的か否かはキャラクターデザインの質に左右されるわけです。
シナリオを読み、キャラクターを造形していくうちに、やなせたかしは気づきます。
「キャラクター・デザインというのはいくらか自分に向いているのではないか」(同)
シナリオを読んでいくと、登場人物の顔つきが自然に浮かんできて、自分の中で生命を持った実像になっていく。自身でもびっくりするほど、キャラクター造形のアイデアが湧いて出てくる。描いたキャラクターが自分の中で生命を宿すと生き生きと動き出し、作者であるやなせたかしの想像を超えるほど育っていく。
たとえば、盗賊の娘マーディアは最初は平板なキャラでした。ところが、造形していくうちにどんどんキャラクターとしての陰影が濃くなり、重要な役に変化していく。まさにキャラクターが作者の手を離れ、勝手に育つ。
後年、アンパンマンの新作を描く時について、やなせたかしはこう明かしています。
最初にストーリーは「ほとんど考えない」「キャラクターのほうを一生けんめい考える。そして顔ができて身体ができて性格ができる」「次に背景を考える。山とか川とか森とか、海とか空とか……」「するとストーリーのほうは自然にできてきます」(『ボクと、正義と、アンパンマン』PHP研究所 2022)
2300を超えるキャラクターを誇り、ギネス記録を持つアンパンマン。200体以上も生み出しているご当地キャラクターのデザイン。1970年代から2013年に亡くなるまでの間、やなせたかしの仕事の中枢にあったのが、新しいキャラクターを創造することでした。そんなやなせ流のキャラクター創造術は、「千夜一夜物語」の制作中に培われたものだったのです。
後編【「手塚治虫さん、なぜぼくに依頼したんですか?」 天才たちが「やなせたかし」に難しい仕事を託した納得の理由】では、やなせたかしが、「天才たちから声をかけられた理由」と「素人なのに、天才たちが満足するすごい作品をつくることができた」二つの秘密についてひも解いている。











