【朝ドラ】やなせたかしとサンリオの“本当の関係”とは? 「アンパンマン」と「キティちゃん」の不思議な接点

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 NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」はいよいよ最終盤へ。ドラマでは、アンパンマンの生みの親、やなせたかしをモデルとする主人公・嵩(北村匠海)の初めての詩集を、旧知の八木(妻夫木聡)の会社が出版することになった。

 八木の会社の名前は「九州コットンセンター」となっているが、実際に本を出版したのは「山梨シルクセンター」。のちにあの「キティちゃん」で有名になるサンリオがモデルだ。会社の名前だけではなく、八木がのぶ(今田美桜)の妹の蘭子(河合優実)と恋愛ムードになったり、ドラマと史実はだいぶ違うのだが、では、やなせたかしとサンリオは本当はどんな関係だったのか?

 やなせたかしは、アンパンマンを生んだだけではなく、キティちゃんの誕生にも関与していたのかもしれない。柳瀬博一『アンパンマンと日本人』(新潮新書)から抜粋して紹介しよう。

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サンリオの創始者、突然の来訪

「キティちゃん」ことハローキティは、世界のキャラクタービジネスランキングで、ポケモンについで第2位、ディズニーのくまのプーさんやミッキーマウス、スターウォーズよりも稼いでいると言われます。ちなみにアンパンマンは6位です。このキティちゃんを生んだ会社がサンリオです。

 やなせたかしは、もしかするとアンパンマンだけではなく、キティちゃんを生んだメルヘンとキャラクターの企業サンリオの発展にも関与していたかもしれません。サンリオがまだ山梨シルクセンターという社名だった1966年、同社がはじめて出版した書籍が、やなせたかし初の詩集である『愛する歌』であり、サンリオに名前を変えて、73年に初めて自社で出版した雑誌がやなせたかしの持ち込み企画『詩とメルヘン』だったのです。

 60年代、ラジオドラマの台本を執筆していたやなせたかしは、劇中歌の歌詞を必ず書いていました。毎週たくさんの番組を担当していたので、いつのまにか自作の歌詞が大量に手元に溜まります。

 もったいないから本にしよう。でも、誰も詩なんか買わないだろうな。よし、自費出版で。そう思って、手持ちの詩をまとめていたとき、やなせたかしのもとに現れたのが、山梨県からやってきたよれよれのコートを着た中年男、辻信太郎氏でした。

 元々山梨県の職員で、山梨シルクセンターなる会社の社長、ということです。社員6人ほどのちっぽけな会社で、山梨県の産品であるシルク=絹製品を販売する県の外郭団体らしい。さまざまな雑貨を売ったり、ハンカチやサンダルを売ったりと、いまひとつ何をやっているのかわからない。

 そんな同社の最初のヒット商品の一つは、大手菓子メーカーとの提携で、オリジナルパッケージデザインを施した缶入りキャンディでした。イラストレーターや漫画家にデザインを頼み、商品のバリエーションを増やしたのです。パッケージデザインのバリエーションを商品化する。今にして思えば、デザインを核に据えた先進的なビジネスを志向していました。

 そして辻氏自らが声をかけた漫画家の一人がやなせたかしだった、というわけです。

「麦わら帽子の形をした飴玉入れなんかをデザインしました」(『人生なんて夢だけど』フレーベル館 2005年)

「うちで出版して売りましょう!」

 キャンディのパッケージデザインを請け負ったのがきっかけで知り合いになった辻氏に、ある日、やなせたかしは自費出版するつもりだった詩集の原稿が手元にあったので、何の気なしに見せてみました。すると原稿に目を通した辻氏が前のめりになって宣言したのです。

「うちで出版して書店で売りましょう!」

 あとでわかったのは、「辻社長は学生時代、西条八十の『蝋人形』を愛読していた詩人肌の文学青年」(『アンパンマンの遺書』岩波書店 1995年)だったのです。

「これが後年サンリオ社の体質の根底になって、大ヒットするキティちゃんの誕生につながっていく」(同)

 辻氏の詩に対する強い憧れが、さまざまなキャラクターやファンシーグッズの誕生の背景にあったのだろう、とやなせたかし自身が分析します。

 ただ、辻氏が「本をつくりましょう」と言ったとき、最初は、ただの冗談か気まぐれだろう、とやなせたかしは思っていました。出版社でもない山梨の謎会社が売れそうにもない詩の本を出すはずがない、と。

「詩集といっても、ラジオの中でつかった歌だから、ま、歌謡曲か童謡みたいなもので、ちゃんとした詩はただの一篇もない。詩人がみれば怒り狂うか無視するだろう」(同)

 著者自身がそんなふうに卑下するくらいです。書籍になって、ましてや本屋さんで売れるわけがないだろう。ところが、辻氏は、あれよあれよというまに、やなせたかしの詩集を書籍にしてしまいました。こうしてできたのが『愛する歌』です。

 やなせたかしは、喜ぶどころかびっくりしました。詩集だぞ! 売れるはずはないのに! 初版は3000部。詩集としてはかなりの大部数です。常軌を逸しています。

 なぜ、そんな無謀なことをしたのか。辻氏以下、山梨シルクセンターの面々が全員出版の素人だったからです。本は作ったものの、どうやって書店で販売できるのか、出版流通の仕組みも慣習もまったく知らなかった。

詩集『愛する歌』はベストセラーに

 ところが、辻氏は臆せず、出版流通の要である取次の一社、東京出版販売(トーハン)に足を運び、「どうやったら売れますか?」と単刀直入に聞いたのです。トーハンもびっくりしましたが、邪険に追い返さず、販売のイロハを教えました。素人というのは怖い。けれど、であるが故に強い。

 詩集『愛する歌』が刷り上がると、やなせたかしも販促活動に担ぎ出されました。サイン会です。最初は銀座4丁目にある雑貨屋の入り口で、次には取引のあった三愛の東京と大阪の下着売り場でサイン会を開きました。

 驚いたことに、出版販売のイロハもしらない山梨シルクセンターが出版したやなせたかしの処女詩集『愛する歌』は売れました。版を重ね、10万部を超えました。堂々のベストセラーです。その後、サンリオは書籍部門を設け、さまざまな分野の書籍や雑誌を出すようになります。その第一号はやなせたかしの『愛する歌』であり、本書のヒットがサンリオの出版ビジネスの発端となったのです。

「小学生の私は、やなせさんと文通をしていました。」

 それだけではありません。

 ドラマ「あんぱん」の主人公はやなせたかしの妻、小松暢(のぶ)がモデルです。脚本を担当するのは、「ハケンの品格」「西郷どん」「花子とアン」で知られる中園ミホ氏。彼女は、小学生時代にやなせたかしと文通していました。NHK「あんぱん」の製作発表に際し、NHK公式サイトでこう語っています。

「アンパンマンが誕生するずっと前、小学生の私は、やなせさんと文通をしていました。『愛する歌』という詩集に感動して手紙を送ったところ、すぐにお返事をくださったのです。何度かお目にかかったこともあります。やなせさんはいつもやさしい笑顔を浮かべ、『元気ですか? お腹はすいていませんか?』と声をかけてくれました」

 やなせたかしが『愛する歌』をきっかけに開拓し『詩とメルヘン』で広げていった抒情詩とメルヘンの世界は、当時、評論家からは全く相手にされませんでした。現代詩に比べて、幼稚なものだと思われたのでしょう。けれども、それよりはるかに大切な人たちが、彼の開いた道を辿ってくれました。若い人たち、子どもたちです。中園ミホ氏もその一人だった。そして、道を拓かれた小学生が、やなせたかしと妻・小松暢の物語をつくり、朝のドラマになった。

 やなせたかしの「詩」の力を思い知らされます。

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