ドライヤーがない! エレベーターのボタンが見つからない! 古市憲寿が海外のホテルで体験した「生活感隠し」
真夜中のホテル。片っ端から引き出しを開ける。洗面所。ない。クローゼット。全部探したけど、ない。ベッド脇。ベッドの下まで見たけどない、ない。フロントに聞くのは敗北のような気がして、もう少し粘る。結局それは、食器の入っていた棚の2段目に、黒い袋に包まれ、厳重に保管されていた。ドライヤーである。
世界各地のホテルに泊まるが、毎回困るのがドライヤーの位置だ。日本のホテルなら洗面所に備え付けてあったり、鏡の前に置いてあったり、ほとんど迷うことはない。だがJISのように統一規格があるものではない。世界中のホテルでドライヤーが置かれる位置は千差万別である。まず「ドライヤーは洗面所で使うもの」という点からして常識ではない。部屋の化粧鏡の前で使用してほしい場合もあれば、ベッド脇での使用が想定されていたりする。
もういっそ世界中でドライヤー位置協定などを結んでほしいとも思うが、ホテル側にも事情があるのだろう。考えられる一つの理由は高級感の演出だ。ドライヤーという生活感のあるものを、なるべく見える位置に置きたくないのだろう。
空間を高級に見せる基本は、視界から「生活」を取り除くこと。ホテルでもデパートでも、ラグジュアリーに見える場所は生活臭を排除している。畳みかけの洗濯物やら濡れたスポンジやら調味料やらが放置されていない。そもそもモノが少ないか、本来は生活の象徴であるような、タオルや歯磨き粉でさえ整然とディスプレイされている。
なぜホテルのロビーや、お金持ちの家には巨大な壺があるのか。それは生活から遠いから。生活感と高級感は反比例するような関係にある。もし手っ取り早く部屋をおしゃれにしたいなら、極力モノを減らし、代わりに生活感のないものを置けばいい。とても暮らしづらいだろうけど。
ドライヤーは生活の象徴のようなアイテム。レプロナイザーをはじめとした高級ドライヤーも、わざわざ見せるようなものではない。結果、ホテルでは見えない場所に隠されてしまうのかもしれない。
絶対に必要なものから、どうやって生活感を取り除くべきか。
最近、香港とバンコクで立て続けに経験したのだが、エレベーターのボタンが見つからなかった。普通は迷いようがないほど分かりやすい位置、つまり扉の隣に設置されているものだ。だがどこにもボタンらしきものがない。困っていると常連客が、慣れた手つきで扉脇の調度品に触れた。するとエレベーターの扉が開く。ボタンが完全に調度品の一部になっていたのだ。
高級感と共に暮らすのはさぞ不便だろう。それにしてもドライヤーやエレベーターのボタンを探してあたふたする姿は、非常に人間臭く、そして「生活」に満ちている。人間は、どんなに高級ぶって着飾った日々を送っても、髪を乾かさずにはいられない。上品に隠されたドライヤーは、人が生活から逃れられないことを教えてくれる。





