「田中角栄」権力の源泉は「金庫番の女性」だった…51年前の“調査報道”から「庶民宰相」を令和に読み解く意義とは
角栄の孤独感とは
小学校卒業という学歴しかなかった田中角栄には有力な学友がいないんです。有名大学を出た政治家のように有力な血縁者もいなければ、官僚とか大企業に学友もいない。言うなれば実業の力、金の力でのし上がってきた。これを今に置き換えて考えていくと、たとえばベンチャーで一発当てたビジネスパーソンみたいな「成り上がり」が、経営の世界から政治の世界に転身して総理を目指すみたいな物語です。
そんな田中角栄には自分のことを理解してくれる人が周囲にいないという孤独感があったのではないか。他の政治家は、それこそ親が政治家だったり、東大卒で官僚が友達だったりして最初から立ち位置が違う。そうした環境を持たない角栄の政治家としての孤独感、その孤独を身内で固めて、埋めていくことで首相へと上り詰めていく過程……。児玉さんはそこをちゃんと取材をして読み解こうとしています。システムとしての田中角栄を象徴するのが金庫番である佐藤昭ということになるでしょう。
立花さんが「理」のノンフィクションだとすると、児玉さんは「情」のノンフィクションです。児玉さんは佐藤の存在が田中にとってもっとも描かれたくないものであるとわかっています。それを描くことの意義を感じていると同時に、一方で後ろめたさも感じている。そうした「人間臭い」ところも、同じ取材者として共感することが多いですね。「情」のノンフィクション、あるいは調査報道はどこか軽く見られがちなのですが、やはり「理」だけでは人間は描ききれません。「情」の系譜もあることをあらためて強調しておきたいですね。
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前編「『NHKらしさ』『ドラマチックな事実』から遠く離れて…YouTubeで『私語り』が氾濫する時代に『昭和ノンフィクション』に何を学ぶべきか」では柳田邦男『マッハの恐怖』沢木耕太郎『一瞬の夏』を取り上げ、「昭和ノンフィクション」を令和に読み解く意味を石戸氏が語る。






