「あの子は浮気しているよ…」認知症の義母の言葉は本当なのか 嫉妬と不安に導かれた60歳夫の選択とその後

  • ブックマーク

【前後編の後編/前編を読む】60歳男性の人生を決定づけた、30年前の「出られなかった電話」 事件はバブルの狂乱の果てに起きた

 バブル前夜に社会人となった藤倉貴敏さん(60歳・仮名=以下同)は、「世の中がパッパラパーだった」という浮かれた時代を過ごした。だがバブルが崩壊すると、心に刻まれる悲劇を目の当たりにし、また彼自身もリストラ危機、会社の吸収合併という憂き目にあう。その過程では、時代を生き延びた同志ともいえる比佐子さんと結婚し、資格を得て働く彼女と一緒に娘と息子を育てた。一方で、共に暮らす義母は比佐子さんと何かと対立し、やがて認知症と診断されて施設へ。だが義母は貴敏さんに「私はボケていない、騙されてここにいる」「気をつけたほうがいい、比佐子は浮気している」と告げるのだった。

 ***

 とはいえ、貴敏さんは妻が浮気しているとは思っていなかったし、確認する必要性さえ感じなかった。それは「信じていた」というより「めんどうだったから」という理由だったそうだ。

「とりあえずうまくいっている家庭に、わざわざ波風を立てる必要はありませんから。それに義母がいなくなり、正直言って比佐子は気が楽になったのか、明るくなりました。そんなときに浮気しているのかなんて言えません」

 それより日々の生活を大事にしたかった。成長していく子どもたちを、妻とふたりで見守りたかった。安定した生活を何より自分が欲していることがよくわかったと彼は言う。

「自分がそういう生活を送っているとき、ときどきバブル後に自死した友人を思い出しました。僕はいつの間にか、彼の分もきちんと生きていこうと思うようになっていた。経済的には低空飛行だったけど、それでも不安定よりはいい。50歳を過ぎた頃に妻とローンを組んで、中古のマンションを購入しました。これでさらに安定した。会社も吸収合併以降、何度かいろいろな変革がありましたが、ようやく落ち着き始めていた」

 もう“変化”はいらなかった。変化し続けることで疲弊するものもあると彼は感じていたのだ。妻との関係は子どもを介して安定しているのだから、このまま子どもたちが大人になるのを見届ければそれでいい。彼はそう感じていたという。

生きる気力を無くした出来事

 だがさらなる変化が彼に訪れた。

「50代半ばに子会社への出向命令が下りました。しかも転籍だから、本社に戻ることはできない。そういう先輩も見てきました。みんな精気を削り取られたようになっていく。本社では使えない人間だという証明みたいなものですから、生きる気力もなくしますよね」

 彼は妻にそれを言い出せず、同じ目にあった先輩に会いに行った。今さら転職もできないのだから割り切るしかないだろ、と先輩は自嘲気味につぶやいた。こうはなりたくない、だがこうなるのは目に見えていると彼は絶望的な気分になった。

「給料も減る、退職金も減る。それがわかっていながらしがみつくしかない。無力感にさいなまれました。出向先に出社したその日、居心地の悪さにもやもやしたものを抱えて帰宅すると、妻と子どもたちがケーキを前にはしゃいでいた。ローストビーフなんかもあって。受験でピリピリしていた娘もにこにこしてる。その娘が『おとうさん、お帰り。おかあさんが大出世したんだよ』って。息子も『すごいよなあ、おかあさんは』とお祝いムード一色でした。僕が出向したことはまだ家族は知らない。一方で妻は大出世。妻のためにはよかったなと思いつつも、どんどんみじめな気持ちになっていった」

次ページ:妻への不満を口にする貴敏さんだが…

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。