「女の子がひとりでいるのを見た瞬間、今なら“盗める”と思った」 幼女4人の命を奪った「宮崎勤」が被害者宅に送りつけた「遺骨入りの段ボール箱」
最悪の結果
〈女の子が独りでいるのを見た瞬間、今なら盗めると思った。祈るような思いで誘ったらついてきた〉
後にこう供述した宮崎死刑囚は、自宅近くの歩道橋を歩いていたAちゃんに対し、
「お嬢ちゃん、涼しい所にいかない?」
と声をかけて自分の車に乗せ、五日市町(現・あきる野市)の山林に連れ込み、両手で首を絞めて殺害した。殺害場所は、宮崎死刑囚の自宅から車で10分ほどの峠道を走り、八王子市にある東京電力新多摩変電所わきのハイキングコースを経た日向峰の山林だった。変電所に電線が通っていることから、それを指さし「電車に乗ろうね」といって誘い出した。また、Bちゃんに対しては、
「道が分からなくなったので教えてくれるかい? 僕が知っている道のところまで車に乗って教えてくれないか」
などといって車に乗せ、Aちゃんと同じ場所で殺害した。そしてCちゃんには、
「あったかいところに寄って行かない?」
と言って車に誘い込み、入間郡名栗村(現・飯能市)の「埼玉県立名栗少年自然の家」駐車場内にとめた車の中で殺害、付近の山林に遺体を遺棄した。
同年12月15日、「自然の家」職員が、施設周辺からCちゃんの衣類を発見したとの通報が寄せられ、県警は捜索を実施した。やがて、着衣はなく手足を縛られたCちゃんの無残な遺体が発見された。自宅から50キロ以上も離れた場所で、無残な姿で発見されたCちゃん――最悪の結果に、埼玉県警は総力を挙げて犯人の行方を追うことになる。
年が明けて、平成元年となった。
戦争の惨禍を経験した昭和が終わり、新しい時代へ……地価と株価が高騰した「バブル景気」や、その過程でふくらんだ金融機関の不良債権問題など社会情勢を巡る変化はさまざまだが、犯罪に関して、警察庁教養資料は以下のように説く。
〈従来の犯罪は、一の警察署の管轄区域や一の都道府県の区域内で完結するものが多かった。このため、警察活動も犯罪者や犯罪の被害者が、おおむね同一の区域内に生活の拠点を有するということを前提として構築されていた。ところが、日常的なモビリティーの増大は、個人の生活の範囲を拡大させるとともに、個人の行動をより迅速化させている。これに伴って犯罪の態様も変容し、捜査活動の分野においても、警察署や都道府県の垣根を越えた活動を行うことが日常的となっている〉
県西部に在住する3人の幼女連続行方不明事案。その一つが「遺体発見」という最悪の事態に発展した埼玉県警の捜査が続けられる中で、またもやショッキングな事態がおこる。
平成元年2月6日、Aちゃんの遺骨が段ボールに入れられ、自宅に送りつけられた。中にはメモも同封されていた。さらに同10日と11日には被害者の自宅や朝日新聞社に「所沢市 今田勇子」名の独特な書体でびっしりと書かれた犯行声明文が送りつけられたのである。
「(Aちゃん宅へ)遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です」
何の罪もない幼女を誘拐・殺害し、悲嘆にくれる被害者の心情を逆なでするような犯行声明を送り付け、警察の捜査に挑戦しているかのような犯人。怒りと恐怖感と共に、全国からの注目が集まることになる(その後の捜査で、所沢市内に今田勇子という人物はいないことが判明)。
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