「女の子がひとりでいるのを見た瞬間、今なら“盗める”と思った」 幼女4人の命を奪った「宮崎勤」が被害者宅に送りつけた「遺骨入りの段ボール箱」

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 時代の端境期には、難解な事件が起きると言われる。昭和から平成へ――1988(昭和63)年から89(平成元)年にかけて、日本中を震撼させた事件があった。連続幼女誘拐殺人事件、通称「宮崎勤事件」である。東京都五日市町(現・あきる野市)に住んでいた宮崎勤死刑囚(2008年6月17日死刑執行、享年45)は当初、埼玉県内で犯行を重ねていた。未曽有の事件に埼玉県警の捜査が行き詰まる中、隣の東京都(警視庁)で犯行に手を染めたことで逮捕されることになる。昭和と平成をまたいだ、一大事件の舞台裏を紐解きたい。

【全2回の第1回】

埼玉県西部で幼女が消える

 昭和63年8月22日午後3時過ぎ、埼玉県入間市内に住むAちゃん(4)が「友達の家に遊びに行く」と言って家を出たまま行方不明になった。近隣住民なども総出で探したが見つからず、午後6時23分、母親が110番通報した。身代金目的誘拐事件に発展することを考え、所轄の狭山警察署から当直員が「秘匿潜入」(出前や配達員などに変装して、対象家屋に入り、電話録音機や逆探知などの捜査資機材をセッティングする)する一方、他の当直員が周辺を捜索したが、脅迫電話もなく、Aちゃんも発見できずに夜が明けた。翌日、県警捜査第一課からも捜査員が到着し、機動隊も動員して近くの川などを捜索したが、Aちゃんは見つからなかった。

 Aちゃんの自宅の近くには、民放でニュース番組を担当する著名アナウンサーが住んでいた。その後の捜索に先頭に立って協力すると同時に、地域の自治会に流れる放送で「Aちゃん、お家に帰りましょう」と自ら呼びかけたが、家族のもとに帰ることはなかった。

 同年10月3日午後3時ごろ、飯能市に住むBちゃん(7)が、自宅付近から行方不明になった。いわゆる「鍵っ子」だったBちゃんは行動範囲が広い。両親や学校の教員なども捜したが見つからず、午後10時40分になって父親から110番が入った。入間市のAちゃんが行方不明になってから1カ月半。関連性や身代金目的誘拐事件も念頭に、所轄の飯能警察署員や捜査第一課員が秘匿潜入して体制を敷いたが、やはり脅迫電話はなく、翌日には公開捜査となった。

〈この頃、県西部ではナイフで幼児の腹部をいきなり刺すという通り魔事件が3件発生し、地域住民の不安が高まり始めていた〉(警察庁の刑事教養資料より)

 さらに同年12月9日午後4時30分ごろ、川越市内に住むCちゃん(4)が、友人の家から帰宅途中に行方不明になった。川越警察署員、捜査第一課員が秘匿潜入したが、こちらも脅迫電話もなく、Cちゃんは発見できなかった。

 半年余りの間に、埼玉県西部で3人の幼女が行方不明に――事態を重く見た埼玉県警察は本部長直轄の総合対策本部を設置、県西部の11警察署にも「幼女連続行方不明事案総合対策本部」を設置したが、肝心の捜査は進まない。

 現在のように、街中のいたるところに防犯カメラがあるわけではない。幼女たちが行方不明当日に目撃された不審者・車、累犯前科者などを洗う捜査が続けられたが、肝心の行方は分からず、有力容疑者が浮かぶこともないまま、時間が過ぎていった。

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