放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請
松田署に連絡して退去を要請
だが、地元の人たちは、度々警告を発していた。先に触れたように、発電所の職員を乗せた車は、注意を促す音声テープを流しながら玄倉川沿いの林道を上流に向かっていた。問題の現場に到着すると車を下りて、川岸から中州でキャンプをする一行に向かって拡声器で呼びかけている。
「“危ないですよ、気を付けてください”と伝えましたが、向こうの声は聞こえない。が、3人の大人が手を振ったので、了解した合図だと思ってその場を引き揚げました」と、先の管理事務所の所長はいう。もっとも、この時点では、まだ現場付近に雨は降っていなかった。
午後4時50分、神奈川県下に大雨雷洪水注意報が発令された。玄倉川流域では、6時頃から次第に雨足が激しくなる。7時過ぎ、雨量が1時間20ミリを超えた時点でダムの放流は不可避となった。
発電所の職員は再び川に向かい、今度は「河原は危険ですので安全な場所に退去して下さい」という内容の避難勧告のテープを流す。事故現場では、直接、キャンプ客に避難を呼びかけた。しかし、
「中州の人たちは、全員がテントの中に入っていて、全く反応がなかった。まだ時間は早いし、反応がないのはおかしい。もしかしたら、酒でも飲んで寝てしまったのではないかと思い、松田署に連絡をして、“危険なところにいるので退去させてほしい”と要請したんです」(管理事務所の所長)
どうしてあの時点で避難しなかったのか
一行の25人のうち、日帰りで帰った人が4人いた。管理事務所から松田署に通報したのが、午後8時6分。その直前の7時45分には、巡視と並行して放流を警告するサイレンが鳴らされた。キャンプ客が多かったので、通常の10分間より長く、30分間にわたって断続的に鳴らされたのである。
河川敷でテントを張っていた別グループのAさんはいう。
「サイレンは、戦時中の空襲警報を思わせるような恐怖感を煽る音でした。まるで耳元で鳴らされているみたいに大きな音で、それが山々に響くんです。その時にはすでにドシャ降りになっており、風も出てテントが折れそうなくらいでした。が、なにしろサイレンの音が怖くて私たちは避難した。辺りはすでに暗くなっていたので、手にランタンを持ち、足元を照らしながらガケを登って、林道に停めていた車に逃げ込んだんです」
Aさんのグループだけでなく、河川敷にいた全員がテントそっちのけでマイカーに避難した。ところが、中州のテントから川を渡って避難してきたのは、たったの3人だけだったのだ。
残った18人は、20代前半から40代後半の大人が12人と10歳未満の子供が6人。常識があれば、全員が退去したはずである。
「大人が怖がるぐらいだから、子供は泣いたんじゃないですかね。それにサイレンが放流の合図だということは看板を見てわかっていたはずです。どうしてあの時点で避難しなかったのか不思議です」と、Aさんはいう。
[2/3ページ]


