放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請
警視庁の統計によれば、令和6(2024)年の水難は過去10年間で最多の1535件、水難者は1753人だった。死者・行方不明者の人数を場所別にみると、海(372人)と川(288人)で全体の約80%。さらに中学生以下に限定すると、川(18人)が海(5人)を逆転し、全体の約64%を占める。
今年も早くから安全の心得などが広く呼びかけられているが、すでに複数の事故が報じられている。そうしたニュースに必ず存在するのは懸命の救助活動を行った人々だ。1999年8月14日、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉(くろくら)川で18人が濁流に押し流された水難事故。この事故に際し、川と地元の関係者たちはいかに動いたのか。当時の「週刊新潮」は、彼らから見た事故の一部始終を明らかにした――報じていた。
(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」1999年9月2日「『危機一髪』の命運 かくて18人は濁流にのみ込まれた」を再編集しました)
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【写真】濁流の上に渡されたロープ、激しい水しぶき…決死の救助活動、実際の様子
放流に備えて早めに警戒を呼びかけた
「これから大雨になりそうだな」
13日午後3時頃、玄倉川のダムを管理する足柄発電管理事務所でコンピュータを叩いていた職員が呟いた。画面には、気象協会の気象データが映し出されていた。それによると、弱い熱帯低気圧が発生し、雨雲の動きから、今後、かなりの雨が降ることが予想されたのである。
山北町の玄倉川の事故現場から、4キロ上流には玄倉ダムがある。貯水量4万トンの小さなダムだが、雨量が増えれば、水位調整のために放流しなければならない。この気象情報を受けて足柄発電管理事務所では、山北町にある玄倉第1発電所の職員を巡視に出すことにした。
「原則として、放流する場合には、15分以上前に巡視し、警報することになっていますが、お盆休みを利用して玄倉川沿いでキャンプをしている人が多いだろうと考え、放流に備えて早めに警戒を呼びかけることにしたのです」
と、同管理事務所の所長はいう。山北町には、16のキャンプ場があるが、ここ数年、管理者がいない河川敷でキャンプをする人たちが増えていた。
巡視に出た職員2名が、事故現場付近に到着したのは午後3時過ぎ。この日も100人ほどの人達がキャンプを楽しんでいた。上流に向かって右岸の河川敷に18個、川を渡った中州に2個のテントが張られていた。この中州の人たちが、翌日、濁流にのみ込まれたのだった。
ドシャ降りになるとは予想できない天候
遺体となって発見されたのは、同じ会社に勤務する従業員など12人(※記事が執筆された1999年8月23日現在。13人目の遺体は同月29日発見)である。従業員とその家族ら25人が4台の車に分乗し、問題の河川敷に到着したのは、13日の午前10時頃だった。
川幅は、わずか10メートル。深さはせいぜい20センチで、せせらぎ程度の流れである。一行は川を渡ると、中州にテントを張りはじめた。
「彼らはテントを大きなビニールシートで覆って屋根を作り、雨が降ってもお互いに行き来ができるようにしていました。その上、女性用のトイレテントも準備し、プロパンガスの大きいタンクやビールサーバーを何本も運び込んでいるのを見て、ずいぶん本格的だなと思いましたよ」
と話すのは、河川敷にテントを張ったキャンプ客。天候は、午前中から午後にかけて薄曇りだったが、時折、強い日が射した。まずまずの天気だったので、その後、ドシャ降りになるとは予想できなかったという。
近くには、「注意 雨の日河原でのキャンプは危険!」の立て看板があるが、無視された。一旦、増水すると、たちまち中州が水没してしまうことに気が付かなかったのか。そんな危険など顧みず、一行は無邪気な一日を過ごしていた。
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