放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請
「夜が明けたら撤去するから」
午後8時20分、放流のために玄倉ダムの小ゲートがまず開けられた。川の水位はじょじょに上がっていく。
通報を受けた松田署の署員が現場に駆けつけたのが、9時10分。ところがここで、中州に残った一行との間に、さらに信じられないようなやり取りがあったのである。
「あのグループには、再三再四、現場から退去するようにお願いしましたが、聞き入れてもらえませんでした」と松田署の関係者はいう。
「10時40分過ぎには、署員がテントまで赴いて、かなり強い調子で退去を求めたんですが、かなり酔った状態で、注意しても、“うるせえ”“警察にそんなこと言われる筋合いはない”とか、それは酷いものでした。それでなんとか宥めたら、今度は“女と子供がいるから、今、川を渡るのはかえって危険だ。夜が明けたら撤去するから”と言いはじめた。警察には、強制的に退去させる権限はありません。それで仕方なく“じゃあ、寝ずの番を付けるように”と言って引き揚げるしかなかったんですよ」
ダムの管理事務所では、とっくに避難したものと思っていた。それでも夜半に雨が止んだので、水位が上ったとはいえ、翌14日の早朝までは、まだ中州は水没を免れていた。
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翌朝まで中州に異常は認められなかったが、事態は予想を超えて急変する――。第2回【命綱を付けた隊員が濁流に…13人が命を落とした99年「玄倉川水難事故」 警察・管理事務所・地元消防団はどう動いたのか】では、決死の救助活動の現場を伝える。





