17歳の少女の衣類をはぎ取り…「若いきれいな女」ばかりを狙った鬼畜「小平義雄」が死刑の直前に口にした「意外な言葉」

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事件を生んだ背景

 小平の最初の事件であるE子さん事件について、警察庁資料はこう記している。

〈空襲の激化に伴い、妻子を疎開させ孤独の生活を送っているうち、(E子さん)事件を敢行したものである。しかし、この事件は戦時下警察力の不備により容易に発覚しなかったことが小平の不良性格を発露させる機会となり、さらに(F子さん)事件で「米の世話をする」との甘言により(F子さんを)容易に誘い出すことができたことから、食料不足下の女性の心を捕らえる最適の手段と確信し、以後、同様の手口で犯行を重ねていったものである〉

「私は女の首を絞めちゃうんです。駅などで若いきれいな女を見ると、もうたまらなくなるんですよ。例の手でやりたくなるんです」

 精神鑑定の場でこう語った小平は、女性と関係するのは欲望を満足させるためだけで、乱暴した女性のことはすぐ忘れてしまうと語っていた。さらに、

〈「終戦前後は何といっても食糧が女の心を一番動かしました。私はそれを利用したのです」〉(前出『昭和史全記録』より)

 裁判で小平は、身元が不明のままだった白骨死体事件など3件について「自白を強要された」などとして関与を否定。結果的に7人に対する罪で昭和22年6月18日、東京地裁で死刑判決。小平は控訴したが、同23年11月16日、死刑が確定した。昭和24年10月5日、午前9時45分。宮城刑務所で小平の死刑が執行された。その様子を朝日新聞はこう伝えている。

〈教戒師の話によるとこの朝小平は教戒堂で付添の僧とともに被害者のために読経し、実妹あてに走り書きの遺書をしたためたのち、佛前にそなえてあつたマンジュウ三つを平らげ「ナムアミダブツ」と声高らかに唱えながら静かに絞首台に上がったという〉(昭和24年10月6日付)

【第1回は「誘い文句は『コメが安く買える。一緒に行こう』…昭和最悪の性犯罪者『小平義雄』が10人の女性を毒牙にかけるまで」次々と姿を消した少女たち。警視庁の捜査は?】

デイリー新潮編集部

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